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2005年9月 4日 (日)

妖怪も人に負けじとキイたたき

この神楽小僧(かんぐらこぞう)、普段は人間に成りすましてゐることもあつて、今まで人間に妖怪だと氣附かれたといふことがない。その結果、民話や伝説の類に語られることもなければ民俗学者の著作に現れることもない、全く無名の妖怪と成り果ててゐるのだが、実は大昔からこの日本に存在してゐる由緒ある小僧系の妖怪である。

と云つても普通の妖怪ではない。祭りが何よりも好きといふ一風変はつた妖怪なのである。祭りがあると聞けば必ずそこに顔を出し、祭り囃子に合はせて笛を吹いたり踊つたり、御供へ物の饅頭や酒を頂戴したりして、祭り好きの人間と一緒になつて騒ぐのを無上の喜びとしてゐるのである。それ故、自分で云ふのも何だが、この神楽小僧、人間から見れば『無邪氣な愛すべき妖怪』といふことになるのではないだらうか。因みに神楽を『かんぐら』と読むが、それは『かぐら』がなまつたものである。
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そして、この科学の発達した世の中になつても滅びることなく、世間を欺くために人間に姿を変へて東京の郊外に住んでゐるのである。だが、祭り見物だけに飽き足らず、パソコンを何処からかくすねてきて、ネツトサーフインに耽つてゐるうちに、何を血迷つたか、ブログなどといふものに手を染めてしまつた。

そして、今かうやつてパソコンのキイーボードを慣れない手つきで叩いてゐるのであるが、全体どうしてそれを始めようといふ氣になつたのかといふと、それは親友の豆腐小僧と世間話をしてゐる時であつた。インターネツトを覗いてをると、ブログといふものが大流行してをるやうだ、オイラも一つそれをやつてみるか、と心にも無いことをふと漏らした折、作文能力の無いお前がそんなことをしてどうする、それにやつてみたところで、どうせお前のことだからスリーデイズボーイさ、とからかはれてしまつた。そこで、いつも豆腐小僧に馬鹿にされてゐては情けない、たまには見返してやらうではないかといふ氣になつた。

といふわけであるが、それは単なるきつかけと云つてもよい。格好を附けるわけではないが、ブログを始めるにはまう少しまともな理由があつたと云つておかう。豆腐小僧と別れてから、本当にブログを始めたくなつたのである。それは、かう思ふやうになつたからである。

この小僧、普段は世間体を繕ふ必要から人間に姿を変へて仕方無く働いてはゐても、それはフリーターの真似事をしてゐるやうなもので、その辺の人間のやうにあくせく働く必要は全く無く、自慢ぢやないが暇は人に売りたいくらゐたつぷりある。そこで、それにまかせて、見物した祭りのことや、普段感じたこと、見たり聞いたりした面白いことを、あれこれネツトの上に書き綴つたなら、それを見た人間からの反応が全く無いにしても、兼好法師の「あやしうこそものぐるほしけれ」ではないが、それに近い心境に至つて、そこに興趣の一かけらでも見い出せるのではないか、小僧なりに何か得るものがあるのではないか、そんなふうに思つたのである。

だが、どうしたことか、この小僧、かうやつて何も書いてゐないうちから、しまつた、衝動的にブログのページを作つたが、やはり妖怪にはこんなことは似合はない、馬鹿なことをしたものだ、などと後悔の念に捕はれてゐるのである。もとより熱しやすく冷めやすい性格から、それも仕方が無いこととは云へるのであるが、そのやうに甚だ心もとないことなれば、こんなこたあ、まう止めた、と何時なんどきキーボードを畳むやもしれぬと、まづは最初に一言断つておいて、今は胸の内が段々熱くなつてきたのを幸ひに、最近見物して楽しんだ祭りのことを早速ここに書き連ねて、心の中の迷ひに踏ん切りをつけようと思ふ。

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