« 續江戸天下祭  | トップページ | 本庄まつり »

2005年11月 5日 (土)

沼田祇園祭 其の九

Sdsc03436 陽が完全に沈むと沼田の町は俄かに活氣づくことになつた。提灯に火が入れられた山車が次から次へと町の中へ繰り出し、今年の祭りもこの夜で最後と思へば人々の心の中も一層燃え上がるのであらう、昼とは較べものにならないくらゐ熱いお囃子や山車を曳く人たちの掛け声が沼田の町を揺るがすのであつた。

うんうん、オイラも、なんかかう、体中が熱くなつてきたぞ、とその夜祭り独特の、興奮と刹那さが入り混じつた雰囲氣を味はひながら、小僧はいつのまにか人がどつと増えて騒々しくなつた本町通りを山車の幾つかに附いて流れて行くことにした。

だが、一つ残念なのは、沼田の山車も関東のほかの多くの山車祭りと同じやうに、ろうそくではなく山車の後ろに取り附けたバツテリーで提灯の明かりを灯す方法を取つてゐることであつた。ろうそくはその光に温もりがあつて、それが風にゆらゆら揺れるときの提灯はとても情緒があり、そのやうな提灯を澤山飾りつけてゐる山車には、その祭りを今日まで傳へてきた先祖の霊がそこにまとはりついてゐるやうな感じと云へばよいか、そのやうななんとなく神秘的な雰囲氣を感じ取ることができて、それを好む小僧としては、沼田の提灯の明かりがろうそくでないことに不満を感じたのであつた。

しかし、何事も時代とともに変化していくものである、祭りもその例外ではないであらう、本質さへ変はらなければ、その方法の是非を問ふべきではないのかもしれない、と考へ直したのであつた(だとすると、祭りの本質つて、一体何だらう?)。さう納得しなければ、あちこちにある関東の山車祭りを今後見に行きたいと思はなくなるではないか、はつはつはつは、などと思つてゐると、行く手に澤山の若い女性が現れ、細長い提灯をそれぞれ手に持つてこちらに向かつて歩いてくるのが見えた。

そして、それに続いて若い男たち、と云つてもほとんどが三十代、四十代のやうに見えたのだが、その男たちがワツショイ、ワツショイといふ威勢のよい声を上げつつ、大きな御輿を担いでこちらへ進んでこようとしてゐた。それだけではない、眼の前の交差点の横道からは、巨大な天狗の面が澤山の女性たちによつて担がれて出てきたではないか。

提灯は青く群れたり祭街  神楽小僧

|

« 續江戸天下祭  | トップページ | 本庄まつり »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126829/6902004

この記事へのトラックバック一覧です: 沼田祇園祭 其の九:

« 續江戸天下祭  | トップページ | 本庄まつり »