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2005年11月27日 (日)

續飯能まつり

Sre0049 午後三時から山車のお囃子の披露があるといふので、その場所になつてゐる八幡神社に向かつたのだが、静かな裏道を通つて行くと何処からかお囃子が聞こえてきた。音のする狭い路地の方に寄り道すると、思つたとほり、そこで祭りの半纏を着た人たちを澤山引き連れて町内廻りをしてゐる底抜け屋台に出くはした。

底抜け屋台は文字どほり底が抜けてゐる屋台で、中で笛を吹いたり太鼓を叩いたりする人は立つたまま、屋台と一緒になつて歩きながら移動するのである。そのやうな一風変はつた祭り屋台である底抜け屋台は江戸時代後期、江戸の天下祭に曳き出されたのがその始まりと云はれてゐて、形や造りは違つてゐるが、飯能の底抜け屋台もきつとその流れを引き継いだものなのであらう。『底抜け』と云ふと、そこには何かユーモラスな響きがあるのだが、飯能の底抜け屋台が子供たちを先頭にして一軒一軒挨拶して廻つて行く光景には実際そのやうな愉快で楽しいところも感じられて、それを初めて見た人の中には思はず微笑を洩らしてしまふ人もゐるに違ひない。

その底抜け屋台に別れを告げて八幡神社に向かふと、その境内には人が集まつてゐて、その人々の前には一輌の山車が置いてあつたのだが、その山車の上の囃子台ではお囃子に合はせて獅子舞ひが演じられてゐるところであつた。山車は十輌あるうちの一輌である原町のものであつたが、明治十五年建造といふ歴史を刻んだもので、それが上山に乗せてゐる神武天皇の人形は三代目原舟月の作つたものといふ話であつた。原舟月といふのは関東の祭りではよく聞く名前である。きつと人形作りの名人としてその世界では名を馳せた人なのであらう。

それはともかく、そこで演じられゐたお囃子は江戸神田系のもので、その調子のよいリズSre0050 ムに合はせて小僧もつひ踊り出してしまつたのだが、獅子舞ひの後のひよつとこや狐の 面を被つた演者の踊りも直ぐに終はり、その後は何も無いといふことなので、その八幡神 社の拝殿にお参りした後、大通りや銀座通りに戻り、そこに並んでゐる金魚掬ひや射的の露店を冷やかしたり、食べ物の露店を覗いてゐる若い娘をからかつたりしながら、日が暮れるまでぶらぶらして過ごし、夜の底抜け屋台の曳き廻しを少し見物してから練馬に帰つたのであつた。

賽銭を落として氣づく冬紫陽花 神楽小僧

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