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2006年5月16日 (火)

豊橋神明社の鬼まつり 其の五

Simg_6413_1 巫女さんの『ミコ』を手元の新明解国語辞典で引いてみると、

(一)『神子』神、神社に奉仕し、神楽を舞つたりする未婚の女性。
(二)『巫女』神がかりの状態になつて口寄せすることを職業とする女性。東北地方のイチコやイタコもこの一種。

といふ具合に『神子』と『巫女』の二種類の『ミコ』に分けて記されてゐる。だが、柳田國男の『巫女考』といふ文章を読むと、その根源は一つであり、元々そのやうに區別されるべきものではなかつたといふことが判る。

柳田國男によると、『ミコ』の語源は『御子神(みこがみ)』で、神の子孫と考へられてゐて、最初は諸国を漂白してゐたのだが、機會を見つけてぽつぽつ土着し、次第に只の農民に同化してしまつたのだといふ。その『ミコ』の専らの仕事は国語辞典の中に書かれてゐる『口寄せ』であつたが、生霊や死霊の『口寄せ』ではなく神の『口寄せ』を定職とする『ミコ』も居たさうで、その『ミコ』の仕事の代表的なものに湯立(ゆだて)神事といふものがあつた。

それは神前で湯を沸かし、『ミコ』が笹の葉でその熱湯を身に振りかけて神の仰せを窺ふといふ、禊(みそぎ)と占卜の両方の性格を持つてゐるやうな神事であるが、『ミコ』が精神をこめて熱湯を身に注いでゐると、知らず知らずのうちに心持ちが変はつてきて託宣に適する心理状態になり、終にその口から神意が語られるのだといふ。

しかし、度々そのやうな神事があるわけでもなく、世の中の太平が永く続くやうになると氏子が神託を問ふ機會はますます少なくなり、幾つかの神社を掛け持ちして生計を立ててゐた『ミコ』もその『口寄せ』だけでは喰つて行けなくなつた。そこで、次第に仕事を増やし神社のいろいろな雑務を請け負ふやうになつた。中には農民の仕事を手傳つたり、遊女の真似をするやうな『ミコ』も現れたが、神社の手傳ひをする『ミコ』の中には自分の本來の仕事を忘れてしまふ者も出てくるやうになつた。

Simg_6348_1 と云つたやうなことが柳田國男のその文章に書かれてあつたのだが、その託宣を忘れた『ミコ』が国語辞典の(一)の『神子』で、それが現れるやうになつたあたりから『神子』と『巫女』の二種類の『ミコ』の區別がはつきりとしたものになつたのだらう。そして、時代が進むにつれて『口寄せ』をする(二)の『巫女』はだんだんと減少し、終にはごく僅かなイチコやイ タコを除いて全くと云つてよいほど姿を消してしまひ、結局、現在の女学生がアルバイトでしてゐるやうな種類の『神子』も『巫女』と表記するやうな具合になつてしまつたと云へるだらう。

さて、その『巫女』の話はそれぐらゐにして、鬼まつりのことに話を戻すことにしよう。神明社では正確には『神子』である巫女さんたちの優雅な神楽が終はり、今度は境内で本祭の目玉神事である『赤鬼と天狗のからかひ』のリハーサルが行はれることになつた。

夜神楽や子供は闇で鬼を追ひ  神楽小僧

(つづく)

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