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2006年7月28日 (金)

佐原の大祭夏祭り

Simg_1047 岩波文庫から『利根川図志』といふものが復刻されて出てゐる。これは幕末の下総の篤学者赤松宗旦が著した利根川流域の地誌なのだが、それが手元にあつたのでざつと眼を通してみた。すると、やはりそこには佐原に関する記述があつて、それには『佐原は下利根附第一繁昌の地なり。村の中程に川ありて・・・中略・・・米穀諸荷物の揚げ下げ、旅人の船、川口より此所まで、先をあらそひ両岸の狭きをうらみ、誠に水陸往來の群集、昼夜止む時なし。』と書かれてあつた。

このことから佐原は江戸時代大いに栄えた町といふことが判るのだが、祭りの当日に佐原でもらつた案内パンフレツトに因ると、当時その地方の産業の中心となつたのは酒や醤油などの醸造業で、『村の中程の川』である利根川の支流の小野川の川沿ひにはその醸造を業とする商家が軒を連ねてゐたといふ。そして、その小野川沿ひには今も当時の面影を残す町並みを見ることができるのだが、そのやうな情緒のある所を歴史のある山車が曳き廻される佐原の祭りはなかなか雰囲氣のある祭りと云へるだらう。

『利根川図志』にはその佐原の祭りのことも書いてあつた。『諏訪明神社・・・牛頭天王社・・・この両祭禮至つて賑はしく、何れも二重三重の屋台十四五輌づつ花をかざり、金銀をちりばめ錦繍の幕を懸け、囃子ものの拍子いとにぎやかに、町々をひきまはる。見物の群集人の山をなし、まことに目ざましき祭なり。』

その当時の佐原の祭りの『屋台』がどのやうなものであつたか、これだけでは詳しくは判らないのだが、とにかく、それは相当豪華なもので、祭りも盛況を極めたやうである。その当時の佐原の商人たちの経済力がどんなに大きなものであつたかをこの記述は物語つてゐると云へるだらう。

だが、一つ氣になることがあつた。佐原の山車を語る時に欠かせない大きな飾り人形のことがこの文には全く記されてゐないことである。これは一体どういふことだらう。なんだか妙である。すると、当時の『屋台』には今のやうな人形が飾られてゐなかつたといふことだらうか。それなら、著者がそれに触れてゐないのも判らうといふものである。しかし、もし、当時それが飾られてゐなかつたとすると、いつから飾られるやうになつたのだらう。それを熱心に調べようといふ氣にはならないが、ちよつと興味の惹かれる事柄ではある。

夕涼や囃子流るる街の川  神楽小僧

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