« 筒井町出來町天王祭 其の三 | トップページ | 筒井町出來町天王祭 其の五 »

2006年7月19日 (水)

筒井町出來町天王祭 其の四

Simg_0718_2 どうやら取り留めの無い文章を長々と書いてしまつたやうである。これではこの筒井町出來町天王祭と題した文もなかなか終はりさうにないので先を急ぐことにしたい。といふわけで、ここから暫く小僧の取つた行動をビデオテープの早送り風に描写してみると、

出來町で三輌の山車の出逢ひを見物した小僧はそれから筒井町に出向き、提灯で飾られた山車を見てから、的屋を冷やかしたり、浴衣姿の女の子をからかつたり、時には酔つてゐる祭り関係者に顔見知りの振りをして近づいて酒や弁当をねだつたりしながら、賑はつてゐる夜の筒井町商店街や建中寺公園をぶらぶらして、その下町情緒豊かな宵祭りを堪能すると、再び出來町に戻つたのだが、提灯を附けた山車の曳行を楽しんでゐる途中、草臥れて路傍に座り込むとそのまま眠つてしまつた、と思ひきや、警官に、そんな所で寝ちやいかん、と注意され、仕方が無いから立ち上がつたものの、何処でどういふことになつたのか、それから暫くして意識が無くなり、氣がついた時には出來町にある徳源寺といふ臨済宗の寺の境内の釈迦堂の前で眩しい朝の光を浴びながらごろと横になつてゐたのであつた。

といふことになるのだが、ここからは話を早送りから順送りに戻すことにする。

それから小僧は、いやはや、とんだ所で一夜を過ごしてしまつたやうだな、しかし、天氣がよいから、この分だと今日も祭りが存分に楽しめるぞ、と独り呟きながら立ち上がると、少し奮発して近くのデニーズに足を運んで朝食を摂り、その後そこで暫くうとうとしてから、その日山車が揃ふことになつてゐる徳川園に向かつたのであつた。

すると、途中で徳川園に向かふ一輌の出來町の山車に出逢つたので、小僧はこれは丁度よいと山車囃子を楽しみながらそれに附いて行つたのだが、その山車より一足先に徳川園に入り、その中の徳川美術館前の広場を覗くと、そこには既に大勢の見物客が詰め掛けてゐるのが見渡せた。そこで小僧はその『徳川園山車揃へ』と命名されたイベントの人氣の高さを思ひ知らされたのだが、それは昨年から始められたばかりの新鮮な催し物で、そのうへ筒井町と出來町の山車が揃ふ唯一の行事といふことを考へれば、それも当然のことであつたと云へるだらう。

Simg_0424_1 ただ、今年は集まつた山車が去年より一輌少ない四輌といふことで今一つ盛り上がりに欠けたのは残念なことであつた。昨年、筒井町と出來町の五輌の山車が初めて徳川園に勢揃ひした時、その山車が整列した所が、その様式と白い壁の所為でまるで城のやうな雰囲氣を漂はせてゐる徳川美術館の前であつたといふことから、東照宮祭や三之丸天王祭と云つた、山車を城の中に曳き込んだ江戸時代の名古屋の山車祭りがまるでそこに再現されてゐるかのやうな印象を受けて小僧は大変感動したのだが、今年は二回目、それも一輌少ないといふことでその感動がやや薄れたのは否めなかつた。

だが、だからと云つて、このイベントの意義が失はれたと云つてゐるわけではない。今後このイベントが回を重ねたとしても、五輌の山車全てが徳川園に集まらないとしても、それが失はれることはないだらう。この『徳川園山車揃へ』は単なる眼新しいイベントといふものではなく、それはそれでなかなか意味のあるイベントなのである。実際、今回昨年と同じ所に山車が整列した時はやはり格別なものがそこに感じられたのである。

そもそも徳川園はその昔尾張徳川家の下屋敷があつた所に築かれたもので、このイベントでは、そのやうな特別な場所に尾張徳川家の殿様が造らせたと云つてもよいやうな山車が幾つか曳き込まれ、徳川家に代々傳はる宝物が納められてゐる美術館の前にそれらが揃へられるのである。つまり、尾張徳川とそれと関係の深い尾張名古屋の山車、この二つの『江戸時代のもの』どうしがこの現代において、織姫と彦星のやうに一年に一度顔を合はせるのである。それを見届けることは一つの特別な体験と云つてよいだらう。

葵三葉残りし庭に山車集ひ  神楽小僧

|

« 筒井町出來町天王祭 其の三 | トップページ | 筒井町出來町天王祭 其の五 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126829/11007023

この記事へのトラックバック一覧です: 筒井町出來町天王祭 其の四 :

« 筒井町出來町天王祭 其の三 | トップページ | 筒井町出來町天王祭 其の五 »