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2006年8月27日 (日)

深川八幡まつり

Simg_1828_2   八月十三日はそれこそ炎暑、酷暑などといふ言葉がぴつたり当てはまるやうな暑さであつたのだが、そのやうな暑さの中で行はれる祭りも又それなりの味はひがあるだらうといふことで、江東區の深川まで足を運び、俗に深川八幡まつりと呼ばれる富岡八幡宮の祭りを楽しんできた。

今でこそ余り知られてゐないが富岡八幡宮の祭禮はなかなか由緒のある祭りなのである。神社が創建されたのは寛永四年(1627)とそんなに古いとは云へないのだが、江戸時代にはその祭禮は日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに江戸三大祭の一つに数えられてゐたのである。天保年間に出版された東都歳時記(ちくま学芸文庫版)にはその祭りのことが次のやうに書かれてある。

「当社祭礼は寛永二十年(一六四三)より始まる。古しへは年ごとに流鏑馬(やぶさめ)ありしとぞ。文化四年(一八〇七)までは、隔年に本所一の橋の御旅所へ神幸ありて、同日帰與あり。産子の町々よりも出しねり物を多く出せしが、同六年より、ゆゑありてこのことを止む。今は、境内額堂の向かひへ仮屋を構へて神輿三基を遷す。町々、幟、神酒所、挑灯、飾り物あり。賑はひはむかしにおとらずといへり」

文化六年に、倹約が叫ばれてゐる折おそらく御上から派手なことは慎むやうにといふお達しがあつたのだらう、山車や練り物は出されなくなつたのだが、それ以前は勿論それ以後も祭りは大いに賑はつてゐたやうである。因みに、記事にある『神輿三基』はその昔豪商として名を馳せた紀伊国屋文左衛門が奉納したとされる宮神輿で総金張りのものであつたと云はれてゐる。

その文左衛門関の神輿は全て関東大震災で惜しくも焼失してしまつたのだが、今はそれに代はつて日本一大きいと云はれる大神輿が一基境内の蔵に納まつてゐる。この神輿は長い年月を経た平成三年になつて漸く作られた宮神輿なのだが、ダイヤモンドやルビーなどの宝石を澤山散りばめた大層豪華なもので、その重さは四トン半ほどもあるといふ。

Simg_1851 しかし、今回境内にある蔵の中に大切に置かれてゐるその神輿を拝むことはできたのだが、残念ながらそれが大勢の氏子たちによつて担がれてゐるところを見ることはできなかつた。何故なら、今年は本祭ではなく陰祭の年で、その大神輿の代はりに最近になつて新たに二之宮として作られた少し小さな神輿が渡御に使用されたからであつた。つまり、重い神輿を毎年担ぐのは大変といふことで陰祭にはその大神輿は蔵から出されないことになつてゐるのである。

といふわけで、今年の深川八幡まつりは見物してゐるこちらがさほど熱くなるやうなものではなかつた。だが、暑い中練馬から深川まで遠征した甲斐はあつたと云つてよいだらう。何故なら、その日はどういふわけか八幡宮の境内でアマチユアのビツグバンドによつてヂヤズが演奏されてゐたのだが、これが結構楽しめたからであつた。

ヂヤズを聴く心に夢はよみがへり  神楽小僧

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