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2006年8月 3日 (木)

佐原祭りの『のの字廻し』

Simg_1243 佐原を訪れた観光客が必ず訪れるのが伊能忠敬の旧宅である。わが国最初の実測日本地図を作つた伊能忠敬は佐原の伊能氏の養子であつたことから、彼の住んだ家が小野川沿ひに残されてゐるのである。そして、その旧宅の近くには彼の名に因んだ忠敬橋といふのが小野川の上に架けられてゐて、その忠敬橋から八坂神社や香取神宮の方にかけて古い町家の散見される香取街道が延びてゐる。

この香取街道が佐原の夏祭りのメインストリートになるのだが、祭りの時にはこの香取街道と八坂神社の脇を通る寺宿通りの交差点で、山車を一つの車輪を軸として筆で『の』の字を書くやうに回転させる『のの字廻し』が披露されることになつてゐる。楫棒を持つ若者たちが普段よりテンポの速い佐原囃子に合はせて重い山車を何回もぐるぐる回転させるのである。この豪快なのの字廻しは全ての山車が次から次へと行ふもので、佐原の祭りのハイライトの一つとなつてゐる。

だが、こののの字廻しはいつから行はれるやうになつたのか判らないのだが、関東では一般に山車を何回も回転させてその技を競ふやうなことはしないから珍しいパーフオーマンスだと云へるだらう。名古屋を中心とする尾張地方では山車を担いで回転させるのはよくあることで、それを『どんてん』や『車切』などと呼んでゐるのだが、江戸型の山車を曳き廻す関東の山車祭りでは普通そのやうなことをしないのである。

しないといふより出來ないと云つたはうが正しいのかもしれない。そもそも江戸型の山車は構造上の問題があつてそのやうなことに適してゐないのである。山車を勇壮に回転させて力自慢を誇るといふやうなことが出來ないのである。尾張の山車のやうに片方の車輪を浮かせて山車を担ぎ上げるなどといふことは尚更である。ただ、佐原の山車は江戸型の山車と云つても、それはオーソドツクスな江戸型の山車とはかなり異なつてゐて、二本の楫棒で横に回転させることが出來る。車輪も太く作られてゐる。そこでのの字廻しが可能となるのである。

こののの字廻しとは全く関係の無い話であるが、小野川沿ひに江戸時代から佃煮や漬物を作つて賣つてゐる店があつて、祭りの日にこの店先の焼き蛤が賣られてゐる横に地元でとれた胡瓜が並んでゐた。この胡瓜に味噌を附けて食べたのだが、これが何とも云へず美味しかつた。

川風に吹かれて胡瓜かじりをり  神楽小僧

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