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2006年11月 7日 (火)

續本庄まつり二〇〇六

Simg_5411 江戸の山車祭りが明治になつて廃れた理由として路面電車や電線ができたことを挙げる人が多いが、祭り好きの江戸の町人が簡単に祭りを止められるわけもなく、江戸の山車は上層部が下に迫り込む(引つ込む)形になつてゐたことを考へると、それがいちばんの理由といふことではなかつたやうである。

『修禅寺物語』や『半七捕物帖』で有名な岡本綺堂の話によると、本当のところは、祭りにかかる費用や山車の維持費などを、それまでお上からの命令と貧しい町人たちからの突き上げでいやいや出してゐた金持ちの商人たちが、維新でその圧迫から逃れられることになつて、それ以後は金を出さなくなつたからといふことらしい。金が無ければ祭りを行ふことも古くなつた山車を修理することも難しいからである。

それはともかく、いづれにしても、江戸の山車祭りは明治以降すつかり廃れてしまつた。だが、北関東の幾つかの地域では、その傳統を引き継いだ形で今も山車祭りが行はれてゐる。本庄まつりもその一つである。特に、本庄まつりは殆どの山車が典型的な江戸型の山車であるから、それは江戸の祭りの風情を最も傳へる貴重な祭りと云つてもよいだらう。

写真は、その本庄の山車が中山道を曳かれて行くところである。だが、その中山道も道路の上を這ふ電線が非常に多い。そこで、江戸型の山車である本庄の山車は、それを避けるために上層部を下に迫り込ませて進むことになる。つまり、見事な人形もその間は頭の部分くらゐしか眼にすることができないのである。尚、写真の撮影日は十一月三日である。

山車人形電線くぐり抜けてゆき  神楽小僧

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