« 久喜の天王様 | トップページ | 閑話 日めくり詰め将棋カレンダー2008 »

2007年8月14日 (火)

熊谷うちは祭

Simg_3829_2 七月二十二日の日曜は、埼玉県の北部にある熊谷に足を運んで、地元の人たちから「うちは祭」と呼ばれてゐる熊谷八坂神社の夏の祭禮を見物した。名前が示す通り熊谷八坂神社は京都の八坂神社の末社で、うちは祭りは祇園祭と同じやうに疫病退散を祈願して古くから行はれてきたものであるが、近年は山車や屋台が建造されて曳き廻されるやうになつて、関東で一、二を誇る盛大な祭りとなつてゐる。小僧が訪れた日も、真夏日といふことで昼間はさうでもなかつたが、日が傾くにつれて祭りを見物しようといふ人がどんどんと町に溢れてきて大変な混雑ぶりであつた。

この祭りが何故「うちは祭」と呼ばれるやうになつたかといふと、江戸時代、祭りの日に熊谷のそれぞれの商店は客に赤飯をふるまつてゐたのであるが、或る料亭の主人が手数のかかる赤飯の代はりに江戸から買ひ入れた渋うちは(薄く渋を引いて丈夫にしたもの)を客にふるまつたところ、それが評判になり、その後、各商店のほとんどが赤飯の代はりにうちはを出すやうになつたためといふことらしい。

しかし、この祭りの由來の話を聞いた人の中には、それを不審に思ふ人も居るに違ひない。「商店の客には赤飯よりもうちはが好まれた? それはおかしいだらう」と。尤もな話である。だが、熊谷といふ町をよく知つてゐる人には合点がゆく話であらう。熊谷はとにかく夏は暑いのである。内陸の盆地にある町であるから仕方が無いのであるが、同じやうな地形にある甲府や前橋よりも暑いと云つてもよいであらう。毎年、盛夏になると、「今日の熊谷は××度でした」などといふ台詞がニユースでしばしば流れるのをご存知の人も多いのではないだらうか。

といふことで、熊谷では「夏は赤飯よりもうちはが好まれる」といふことになるのであるが、実際、小僧が訪れた時も大変な暑さであつた。そして、「うちは祭」といふ名称その通りに、町で見かけた人はみんなうちはを動かしてゐるのであつた。うちはを仰ぎながら露店の並んだ通りを歩いてゐる浴衣姿の女の子たち。日陰でうちはを持ちながら涼んでゐるお年寄りの人たち。うちはを動かしながら露店で物を賣つてゐる人たち・・・などなど。勿論、その人たちの持つてゐたうちははほとんどが貰ひ物であつた。と云つても、昔のやうに商店で貰つたものではない。路上に立ちながら宣傳目的で配つてゐる人から貰つた、表裏に広告の印刷されたうちはである。

Simg_3833 小僧も少し歩いただけで直ぐにうちはを二、三枚手に入れることになつてしまつた。うちはなどは一つでよいから断ればよいのであるが、さうもいかない。相手はうちはを配ることが仕事。それも短時間に終へたいわけであるから、それに協力してやらないと、といふ考へが働いて、なかなか断れない。差し出されるとつい貰つてしまふのである。

その後、ほどなくして、町の真ん中で八坂神社の出張所のやうなものに出くはしたので、賽銭箱に小銭を投げ入れて柏手を打つたのであるが、すかさず側に居た巫女さんがそのお礼としてくれたのが、これまたうちはであつた。表には「武州熊谷、うちわ祭、八坂神社」と大書されてあつたが、裏はやはり広告が印刷されてあつた。

といふわけで、その日澤山のうちは、それもいろいろなデザインの施されたうちはを、意に反しながらも小僧は手に入れたのであつた。だが、宣傳が目的とは云へ、折角くれたうちはを一つなりとも無駄にするわけにはいかない、任務を果たさないうちに捨てられるのでは、うちはが可哀想だ、と小僧は考へた。そこで、両手でそれらのうちはをいつぱいに広げて持ち、一度に全てを動かして、目一杯大きい風を自分に送りながら祭りを見物したのであつた。

カラフルな風の心地の団扇かな  神楽小僧

注:写真は7月22日撮影

|

« 久喜の天王様 | トップページ | 閑話 日めくり詰め将棋カレンダー2008 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126829/16117921

この記事へのトラックバック一覧です: 熊谷うちは祭:

« 久喜の天王様 | トップページ | 閑話 日めくり詰め将棋カレンダー2008 »