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2008年4月30日 (水)

犬山祭二〇〇八 其の二

Simg_2859 犬山の町も一昔前に較べるとその風景は随分と変はつてしまつた。小僧が住んでゐた頃、犬山の人口は三萬五千人くらゐであつたが、今は七萬人を超えてゐるからそれも当然か。だが、そんな町でも、祭りの車山(やま)が練り歩く通りの町並だけはあまり変はつてゐない。車山が練り歩く通りといふのは、つまり、その昔城下町犬山のメインストリートであつた所である。そこには、昔から住み続けてゐる人は少なく、古い家が取り壊されてゐる所もあるが、昔の町並の趣は依然として強く残つてゐる。

特に、針綱神社から南へ伸びてゐる本町通りは古民家が結構残つてゐて、高山の町並を思い起こさせるほどである。これは、昔の町並を保存していかうといふ町の人たちの努力が功を奏してゐるからであらう。犬山では今、道幅をむやみに広げることもなく、古い民家などを取り壊さずそのまま活用していかうといふ取り組みが為されてゐるのである。

聞くところによると、このやうな運動は行政からではなく、住民の側から起こされたものといふ。むしろ、行政はその反対で、当初は、町を整備するために、古い町並を取り壊し、道路を大幅に拡張しようといふ計画を立ててゐたらしい。つまり、新しい商業施設中心の町作りによつて町の活性化を図らうといふ考へであつたやうだ。

だが、住民のはうがこれに異を唱へた。愛着のある古い町並がすつかり変はつてしまふ。広い車道によつて町が分断されれば地域の結びつきが無くなつてしまふ。さうなれば、犬山祭の車山を出してゐるそれぞれの町の独自性も連帯感も無くなり祭りの存続が危うくなる。といふ理由からであつたといふ。

そのやうな声が強くなつて行政の整備計画は中止に追い込まれた。そして、今のやうな古い町並を活かした町作りの方向に転換する結果になつたといふ。新たに市長になつたI 氏が住民の側に立つて政策を推し進めたのも大きな要因となつたやうだ。(其の三に続く)

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