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2010年10月30日 (土)

桂之介の詰将棋  其の二十二

201010303


其の二十一で書いた“博奕打ち”のKは、どういふわけか、いつも下駄を履いてゐたので、彼が将棋道場の階段を上がつてくると、私だけでなく、道場に居合はせた連中のほとんどはその足音を聞いただけでそれが誰であるか判つた。冬でも余程寒くない限り、ズボンの下は素足に桐の下駄といふ恰好であつた彼は、カタン、コツン、カタン、コツンとその足音が余り大きくならないやうに氣を使ひながらゆつくり階段を上つてくると、建て附けの悪い木製のドアをギイーと静かに開けて、往年の悪役俳優、伊藤雄之助を若くして少し渋味を取つたやうな長い顔を、堅氣ではない身に負ひ目があるのか、警官に逮捕された泥棒ではないかと思ふほど神妙にさせながら道場に入つてくるのが常であつた。

何故下駄を履いてゐるのか、その理由をKに訊ねたことがあつたが、「突然喧嘩になつたときには下駄がちよつとした武器になりますからね。相手を下駄で殴りつけるわけです。相手が大勢のときはそれを投げつけて逃げることもできる。それに、下駄は何かと便利でせう。それを蹴り上げて落ちた形で天氣を占ふこともできますからね、ははははは」とほとんど冗談のやうな答へが返つてくるだけで本当のところは判らなかつた。だが、町の中に出れば警戒しなければならないことがいろいろとある身で、自分の存在を目立たせるやうな行為は慎まなければならないのに、下駄を鳴らして歩くことを全く氣にしてゐないことだけは少なくとも判つた。推測するに、彼の心の中には「オレは確かにまつたうな人間ではないが、世間から後ろ指をさされるやうなことは何もしてゐない。堂々と往來を歩いて何が悪い」といふ氣持ちが強くあつたのかもしれない。

そんなKであつたが、最初は退屈しのぎに始めた将棋がだんだんと面白くなつたに違ひない、頻繁に道場に通ふやうになつた。そして、生來の負けん氣の強さが幸ひしたのか、ぐんぐんと腕を上げて、私と親しく言葉を交はすやうになつた頃には既に二段と五分の勝負ができるやうな強い初段になつてゐた。ただ、それでも私の敵ではなかつた。私はその頃県代表クラスの強豪に揉まれたおかげで三段になつてゐたからである。しかし、暫くすると、Kの棋力は更に上がつたやうであつた。私を負かすことが十局に一局か二局はあるやうになつた。さうなると、彼は私を対局相手にしたいといふ氣にますますなつたやうで、私が道場へ顔を出すや否や、直ぐに私に声をかけてくるやうになつた。

ところが、なんといふことか、将棋とは全く関係の無い或る出來事がきつかけで、突然、私とKとの関係はひどく険悪なものになつてしまつた。全体どういふことかといふと、それは私が或る女の子をデートに誘つたことが原因であつた。其の二十一でKが喧嘩の仲裁をしてくれたことを書いたが、その女の子はその現場となつたスナツクで働いてゐる子であつた。二十歳くらゐの、それほど美人ではないものの、可愛い笑顔が印象的な背の高いスタイルのよい子で、私は以前からその子に好意を抱いてゐた。そして或る日、私はその子をくどき落としてデートに誘ひ、一緒に食事をすることに成功した。しかし、そのとき私は知らなかつたが、実は、彼女は既にKと附き合つてゐたのである。そして、まづいことに、そのデートのことがKの耳に入つてしまつた。つまり、悪氣は無く、誰にも迷惑をかけることは無いと思はれた私の行為が私とKとの間に思はぬ波乱を起こしてしまつたのである。

ただ、その女の子が私の誘ひを拒まなかつたことから判るやうに、彼女とKの仲は大して深いものではなかつた。少なくとも、彼女のKに対する思ひはそれほど強いものではなかつたであらう。だが、問題はKの彼女に対する情愛の深さにあつた。不幸なことに、彼のはうは彼女にぞつこんであつたのである。それ故、私が彼女を誘つたことを人づてに聞いて知つたとき、彼の受けた衝撃は小さくないに違ひなかつた。

さて、そんなKが事情を知つてから私の前に現れるまでに時間はかからなかつた。件のデートの翌日の夕方、彼は恐い顔をして道場へ現れると、直ぐに私を道場の外に連れ出した。そして、暗くなりかけてゐる裏道に連れてゆくと、そこで一氣にまくし立てた。私はそのときの彼の言葉は詳しく覚えてゐないが、彼の口から頻繁に出てきたのは「オレの女」といふ言葉で、それで私は初めて彼とその女の子の関係を知つたのであつた。そして、そのときの彼の話は、オレの女を構ふやうなことはしてくれるな、今回は大目に見るが、次に同じやうなことがあれば只ぢやおかない、といつたことが大体の内容で、それだけ言ふと、彼は私が何か言はうとしても無視したまま足早に去つて行つてしまつた。

ところで、そのとき呆氣に取られながらKの後ろ姿を眺めてゐた私は、おやつ、と思つた。それまで氣づかなかつたが、彼は下駄を履いてゐなかつたからである。Kのそのときの身なりは濃い茶のジヤケツトに黒のパンツといふ、いつもより小ざつぱりとしたものであつたが、どういふわけか、そのパンツの下の足元に下駄は無かった。その代はりにピカピカの黒い革靴がそこにあつたのである。(つづく)

図は自作の詰将棋であるが、玉方の応接に注意が必要である。なほ、ちよつとした余詰があるのが残念。

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コメント

余詰防止に、玉方6三銀は置きたくないのでしょうか?

三歩人さん、コメントありがたうございます。小生は3三桂の筋を消したくて5五角とか1五角がなんとか置けないか考えてゐました。それで6三銀はうつかりしてゐました。いづれにしても、駒を余分に置きたくないので、深く考へなかつたのがいけなかつたやうです。教へてくださり誠にありがたうございます。

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