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2010年12月

2010年12月24日 (金)

桂之介の詰将棋 其の二十四

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大学を出て會社勤めをするやうになつても私の将棋道場通ひは続いてゐた。そして、その頃のことである。道場には時々画像の乱れる古いテレビが一台置いてあつたが、土曜日曜の午後になると、そのブラウン管の前に陣取つて、ただ馬が走るのを映すだけといふ、関心の全く無い者には早朝の試験放送と同じくらゐ退屈な放送にじつと眼を凝らしてゐる者が必ず何人か居た。つまり、彼等は競馬中継を見てゐて、自分の買つた馬券が金になるか紙屑になるか見極めようとしてゐたわけであるが、そのやうな男たちの中に、プロ棋士の田中寅彦によく似てゐるところから、常連から「寅さん」といふニツクネームで呼ばれてゐる、田淵といふ、私より二つ年上の男が居た。

田淵は中堅の證券會社に勤めてゐて、その業界では遣り手の営業マンとして通つてゐたが、かなりの競馬好きで、道場でも紙面に数字と印のやけに多い特殊な新聞を片手に、同じ趣味を持つ連中と、走力が衰へれば食肉になることを心配しなければならないやうな可哀相な動物に関する話で盛り上がつてゐることが多かつた。だが、学生時代は将棋部の主将を務めてゐたと言ふだけあつて、彼の棋力はなかなかのものであつた。道場では四段で指してゐたが、その頃道場に時折顔を出してゐた都名人のA 氏とはいつも互角の勝負をしてゐたのである。ところが、そのやうな彼と私は対局することは余り無かつた。何故なら、彼が私との対局を避けてゐたからである。そして、私にはその理由が判つてゐた。彼にとつて私は言はゆる、合口の悪い相手であつたからである。

私はもともと攻めるのが好きであつたが、田淵と指す場合は端(はな)から受けに廻ることが多かつた。何故なら、格別強いわけでもない三段の私が攻めても攻め切れないことが判つてゐたからである。ところが、一旦、徹底した受けに廻ると、私は自分でも驚くほど強さを発揮することができた。そして、その結果、攻めあぐねた彼は悪手を指すことが多くなり、結局、私が勝つてしまふといふ具合であつた。といふわけで、格下の私に負けるのが嫌なのか、彼は私と将棋盤を挟んで向き合はうとはせず、当然ながら、二人の関係は挨拶程度の言葉しか交はさないものであつた。

ところが、人間同士の結びつきといふものはどこでどうなるか全く判らないもので、暫くして、私と田淵は、昔から附き合ひのある友人同士のやうに、親しく言葉を交はす間柄になつた。そして、それは或るちよつとした出來事がきつかけであつた。或る日、私が学生時代に通つてゐた新宿のとあるジヤズ喫茶に久し振りに顔を出したときのことである。紫煙の立ち込める薄暗い店内のカウンター席に腰を降ろすと、隣に座つてゐた男が直ぐに私に声をかけてきた。それが他の誰でもない田淵で、私は大いに驚くことになつた。そのやうな場所で彼のやうな将棋や競馬といつた勝負ごとの好きな證券マンと顔を合はせることがあるとは思つてもみなかつたからである。いつであつたか、喫茶店の男性用トイレに入らうとしたら、そこから若い女性が出てきて、とても吃驚したことがあつたが、私がそのときの田淵に感じた意外性はそれと同じやうなものであつた。

そして、更に驚いたことは、そのとき彼が私に洩らした何氣無い言葉であつた。そのとき、店内に流れてゐたのはマニアツクなジヤズフアンしか知らない、或る無名のジヤズピアニストのレコードであつたが、それをリクエストしたのは自分であると彼は私に告げたのであつた。すなはち、彼のその言葉は彼がジヤズに詳しいといふことを明らかにするものであつたが、同時に、ミユージシヤンの好みが私と余り違はないといふことも意味した。何故なら、そのとき店内に流れてゐたレコードは私も大好きで、学生時代によくリクエストしたもののひとつであつたからである。

いづれにしても、そのやうなことから、二人の話が弾んだのは言ふまでもなかつた。それから、私たちは、話し込んでも周りに迷惑をかけることの無い喫茶店に場所を移して雑談を続けることになつた。そして、そのときの會話から、音楽だけでなく、映画論や作家論といつたやうなものに関して、彼は私と氣の合ふところの多い人物といふことが判つたのであつた。

といふわけで、そのことがあつてから、私と田淵は親しく声をかけ合ふことが多くなつたが、二人の結びつきを更に強めたのは競馬であつた。私はもともとギヤンブルが好きであつたから、田淵に勧められて馬券を購入するやうになるまでに時間はかからなかつた。そして、或る日、大穴を当ててから、天下り法人へ支払はれる競馬會の交附金を潤すことに貢献する私の個人的運動に拍車がかかるやうになつた。最初は場外馬券賣場へ出向く田淵に馬券の購入を依頼するだけであつたが、そのうち、二人で競馬場まで足を伸ばすやうになつた。そして、その競馬場遠征を誘ふのは私のはうが多かつたのである。(つづく)

図は自作の詰将棋です。


2010年12月19日 (日)

シンフオニーホールの上原ひろみ

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昨年のクリスマスイブは上原ひろみといふ小柄な女性のサンタクロースが錦糸町のすみだトリフオニーホールに現れて、サンタといふよりはサンタの傳説を信じて疑はない女子高生と形容したはうがよいやうな屈託の無い笑顔を見せながら、私の前に素晴らしいプレゼントを差し出してくれたが、その上原サンタは今年はどういふわけかイブの十日前に大阪のシンフオニーホールに出現するといふ。そして、そこで昨年と同様、上質で心から感動する音楽に飢ゑてゐる人々に最高の施しをしてしてくださるといふことで、昨年経験したことが忘れられない私は東京からわざわざその大阪まで出かけて行つた。

シンフオニーホールは初めてであつたが、中に足を踏み入れた途端、このホールは良い箱だなといふ印象を持つた。狭くもないが広すぎることもない、クラシツクを聴くには丁度よいと思へるやうな広さで、音響のことも充分考へられてゐるやうな作りであつた。同じやうな、客席がステージを取り囲んでゐるホールに東京のサントリーホールがあるが、そのサントリーホールを少しだけ小さくしたやうな感じで、オーケストラのコンサートを聴くときには、いつもこのやうな空間で聴きたいものだ、と思へるやうなホールであつた。つまり、いつもとはちよつと違ふ、大人数の音楽隊を引き連れたその日の上原サンタにとつて、それは申し分の無い、打つて附けの舞台と言つてよかつた。

さて、そのホールへ集まつた人々への上原サンタのその日の贈り物であるが、これがまた昨年のものに優るとも劣らない素晴らしいものであつた。当初、私はその日の贈り物の中身は昨年のものと余り変はらないであらうと思つてゐた。オーケストラは新日本フイルから大阪センチュリー交響楽団に、指揮者は沼尻竜典からロッセン・ゲルゴフに変はつてゐるが、演奏される曲はおそらく昨年のトリフオニーで披露されたものと同じで、指揮者も上原より年下といふことから自分の色を強く出すやうなことはしないと思はれたからである。ところが、私のその予想は良い意味で大きく裏切られることになつた。プログラムは思つた通り全く同じであつたが、その内容は全然違つてゐたからである。

まづ、演奏された曲のアレンヂであるが、ほとんどの曲のそれが昨年とはかなり異なつてゐることに氣附かされた。例を挙げると、この日も演奏されたビクター・ヤング作曲の「GOLDEN EARRINGS」である。前回は上原のソロから始まつたが、その日は導入部分をコントラバスが演奏し、メロデイ・ラインをトランペツトが謳ひ上げるといふ構成に変はつてゐた。つまり、上原のピアノよりもオケの演奏に重点を置かれたものに変はつてゐたが、これはこれでソフイストケイトされた上品な味はひのある演奏であつた。

また、上原作曲のピアノ協奏曲の「STEP FORWARD」もいろいろなところに改変が見られた。特に顕著であつたのは第三楽章で、ここには上原とドラムを担当する打楽器奏者が二人で掛け合ひを演じるところが新たに加へられてゐた。そして、その掛け合ひがジヤズで言ふところのバトルのやうなもので、そのやうな演奏をすることに慣れてゐないにもかかはらず、上原の容赦の無い攻撃をがつちり受け止めたその打楽器奏者の熱演が印象的であつた。因みに、上原は後に自身のブログでその打楽器奏者のことを「あえてドラマーと呼びたいプレイをしてくれた、パーカッショニスト」と表現してゐる。

言ふまでもないが、その日の演奏曲のアレンヂがそのやうに異なつてゐたのは、上原本人の考へによるものであらう。昨年の新日本フイルとの共同作業の経験から、自身の編曲したものに修正点が見つかつたり、新しいアイデアがいろいろと浮かんだりして、暇を見つけてはそのスコアに手直しを加へたと推測される。そして、その推敲を重ねたものが実際に音となつて現れたのがこの日の演奏であつたと言つてよいであらう。いづれにしても、上原がオーケストレーシヨンに並々ならぬ関心とその創造に強い意欲を持つてゐることが判つたのはその日の収穫のひとつであつた。

また、指揮者とオケが違ふと、かうも音楽が違ふのか、と改めて認識させられたのがその日の演奏であつた。新日本フイルの場合は上原との間にしつくり來ないところが少しあるやうに感じられたが、その日はそのやうなものが全く感じられなかつた。それどころか、その日の大阪センチュリーは上原言ふところの「ノリノリで演奏してくれたオーケストラ」であつた。そして、その“ノリノリのオーケストラ”を指揮したのはブルガリア出身の二十九歳のロッセン・ゲルゴフであつたが、この若きマエストロの力がその日のコンサートの成功に大きく影響したやうに思はれた。

確かに、ゲルゴフの指揮者としての力量は沼尻竜典を上廻るとは言へないかもしれない。だが、彼の利点は上原と年齢が近いといふことで、それ故、上原とコミユニケーシヨンがうまく取れて、彼女の考へを的確にオーケストラに傳へることができたのではないかと私には推測できた。そして、事実、そのやうなタクトの振り方であつた。ジヤズのスイング感を表現することに慣れてゐないオーケストラを上手く操つて、彼等の演奏を“ノリノリ”の状態にすることに成功してゐた。因みに、その日、上原とゲルゴフの二人は曲が終はる度にハグを繰り返すといふ仲の良さで、それは上原の夫君が嫉妬を覚えなければよいがとこちらが心配するほどであつた。

といふわけで、サンタの仕事を手傳ふ従者の顔ぶれは変はつたが、上原サンタが彼等と一緒になつて作り上げてくれた今年のプレゼントはまた格別なものになつた。それは料理に喩へるならば、同じ献立のものを出されたが味附けは全く違つてゐた、だが、それは同じやうに極上の味であつた、といふことになるであらう。そして、今年も上原サンタはサービス精神が旺盛であつた。その日のアンコールのピアノソロは、言ふならば、フルコース料理のデザートのやうなものであつたが、それは実に美味しい、名のあるパテイシエが作つたクリスマスケーキのやうなものであつた。そこで、大阪の“がめつい”お客さんがなかなか席を立たず、何度もそのデザートのお代はりを要求したのは当然の成り行きであつた。しかし、シエフである上原サンタはとても優しかつた。はいはい、判りました、次はどのやうなものを出しませうか、とそれに笑顔で何度も快く応じたのであつた。



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12月14日@大阪シンフオニーホール

2010年12月13日 (月)

村上佳菜子といふスケーター

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今年の八月にプロスケーターの八木沼純子が率いるプリンスアイスワールドチームの公演を岡崎で観たが、そのときの出來事である。そのときゲスト・スケーターの中に一人の少女が居て、私はその少女の元氣溌剌とした、如何にも滑ることが楽しくて仕方が無いといつた雰囲氣の演技に魅了されたのであるが、彼女が、スパイラルといふのであらうか、両手を鳥の翼のやうに広げながら、片足を腰の上の高さまで上げたままの姿勢で、緩やかな曲線を描きつつ、コーナーへと流れるやうに滑つて來たとき、そのコーナーの客席に座つてゐた私に視線を向けたかと思ふと、そのままにつこりと微笑んだので、私は大いに吃驚したといふことがあつた。

もちろん、彼女が私を知つてゐるはずは無いので、それは単なるシヨー用の笑顔に過ぎず、それがたまたま私に向けられただけのことであつたと思はれるが、それは無理やり作つたやうな笑顔ではなく、その可憐で少し恥ずかし氣な眸は間違ひ無く私の眼にその焦点が当たつてゐた。そして、そんな、私をじつと見たと表現してもよいやうな眼差しはそのままにして、あたかも、わたしはかうやつてスケート靴を履いて踊つてゐる姿を澤山の人に観てもらふのがたまらなく好きなの、どう、わたしのこんな演技と滑り方、氣に入つていただけたかしら、と問ふがごとくに、彼女の顔が私の顔のはうにぐつと迫つて來るやうなものであつたから、私は予想もしてゐなかつた出來事に面喰ふと同時にかなり動揺したのであつた。

そして、それからおよそ二箇月後、私は再びその少女スケーターのパーフオーマンスを観る機會に恵まれた。それはほかならぬ名古屋で行はれたNHK杯国際フィギュアスケート競技大會においてであつた。そのとき彼女は初めてのシニア・グランプリシリーズ参戦で、その表情からは緊張感が隠せないのが見て取れたが、その持ち前の、子うさぎが春の野に出て、ぴよんぴよん跳ねて遊び廻るやうな元氣のよい滑りを遺憾無く披露してくれた。そして、結局、シニアの精鋭女子スケーターが覇を競ふその大會で三位となり、観戦してゐた私を驚かせたのであつた。

しかし、そのときの健闘は彼女にとつて序章に過ぎなかつた。彼女はそれからアメリカで行はれたグランプリに見事優勝し、グランプリ・フアイナルへと駒を進めた。そして、今週末、北京で行はれたそのフアイナルで彼女自身のベスト・スコアを叩き出し、欧州選手権三度優勝のカロリーナ・コストナーに0.01差の三位といふ結果を勝ち取つて、その名を世界に知らしめたのであつた。

さて、フイギユアスケートに少しでも関心のある人なら、その少女の名前はまうお判りであらう。さう、彼女の名前は村上佳菜子である。村上は昨年、ジユニアの世界選手権のタイトルを取つてゐるが、この一年間で更に成長したやうに思はれる。短期間ではあるが、これまでに成し遂げた見事な成績から考へて、村上は安藤美姫や浅田真央といつたトツプスケーターに続く女子フイギユア界のホープと言つても差し支へないであらう。

残念ながら、今年はフイギユアスケート界のいちばんのスターである浅田が不調であるが、この村上の成長はフイギユアスケート・フアンにとつて朗報に違ひない。そして、幸ひなことに、今年の女子フイギユアは安藤、鈴木明子の両選手の滑りが好調である。それに十六歳になつたばかりの村上が加はつて、次の日本選手権、そして代表に選ばれた場合での世界選手権でそれぞれがどんなパーフオーマンスを見せてくれるであらうか。今からとても楽しみである。

2010年12月 3日 (金)

ブルーノート東京の上原ひろみ

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久し振りに青山のブルーノートに顔を出した。お目当ては上原ひろみを擁するスタンリー・クラーク・トリオである。予約しておいたのは自由席なので、良席を手に入れるためにはかなり早い時間に店頭に着いて列に並ばなければならないが、うつかりして十二時過ぎまで寝てしまひ、私鉄とJRと地下鉄を乗り継いで表参道駅まで行き、そこから高級マンシヨンの立ち並んでゐる、私のやうな田舎者にとつて親しみやすいとはとても言へないやうな通りを暫く歩いてから、ミユージシヤンのシルエツトがなんとなく寂しく描かれた看板のある店の、クリスマス用に申し訳程度にデコレイトされた入り口のドアを黒人のドアボーイに無造作に開けてもらつて、小さな映画館にあるやうなロビーに入つたときには既に整理券の配布中で、やや長い列の最後尾に並んで、コースターのやうなものに番号を書いた丸い整理券を無表情な店員から役所で申請書を貰ふやうな感じで受け取ると、そこに記されてあつたのは案の定、三十番台といふあまり嬉しくない数字であつた。三十番台といふと、カツプルやグループの客が多いことを考へると、少なくとも六十人くらゐの人が私より早く既得権を手に入れてゐるといふことで、前のはうの座席を確保することは全くの望み薄と言つてよかつた。因みに、ブルーノートのステージ前の自由席はおよそ六十席である。

ところが、近くのスターバツクスで暇を潰して開場時間に店に戻り、ウエイターに促されて席を探す段になると、中央の良席は埋まつてゐたが、やや端とは言へステージにかなり近く、演奏中の上原の顔がよく見えるやうな所にぽつんと一つだけ席が空いてゐるのが見えた。そして、そこに幸運にも座ることができて、その日に願つてゐたものが一つ叶へられたのであつた。前回、ブルーノートでひろみ嬢の演奏を聴いたときは彼女の汗が飛んでくるやうな席であつたが、眼の前にあるのはその後ろ姿だけで顔の表情が全く見えないのが不満であつた。そこで、今回はそれがよく見える席を実は狙つてゐたのである。

実際、ジヤズのライブといふことになると、演奏者の顔がよく見えるか否かといふことはかなり重要なことであらう。何故なら、ジヤズはクラシツクなどと違ひ、インプロヴイゼーシヨン、すなはち即興演奏の音楽で、そのときの演奏者の氣分が直接その音楽に現れるからである。特に上原の場合は、彼女ほど演奏中の表情が豊かなピアニストは居ないから尚更である。彼女は演奏中に氣分が乗つてくると、キース・ジヤレツトのやうに腰を浮かして弾いたり、リズムに合はせて足を激しく動かしたりして、その体の動きがダイナミツクになるが、その顔の表情も又同様で、そこにピアノが無かつたら、百面相の芸をしてゐると思はれても不思議ではないほどひつきりなしに、しかも多様に変化するのである。

かと言つて、そのやうな激しい表情の動きに作つたやうなところや嫌味を感じるところは微塵もない。少なくともは私の場合はそのやうに感じられる。歌謡曲やポツプスのミユージシヤンなどが演奏中に大げさな表情を故意に作つて聴衆にアピールすることがあるが、彼女の場合はそのやうな類のものではない。上原の場合は、演奏中の心の動きがそのまま百パーセント顔の筋肉の動きとなつて出てくる、そんな印象を受けるのである。つまり、演奏中の彼女の変化に富む表情の動きは、とりもなほさず、彼女がインプロヴアイズするときに紡ぎ出す絶妙かつ変幻自在なパツセージや和音などと密接に連動してゐると言つてよいであらう。

したがつて、私の場合は、彼女の表情がよく見える所で演奏を聴いて、それで初めて上原ひろみの音楽が百パーセント楽しめたといふことになるのである。そして、その日は幸ひにもそれが実現できたのであつた。ただ、今回はスタンリー・クラークがグループ・リーダーとは言へ、彼のベースソロの時間が長く、上原の演奏時間がそれによつてそれなりに抑へられることになつたのが少々不満であつたが。因みに、太鼓はレニー・ホワイトで、私には彼はどちらかと言へばフユージヨンのドラマーといふ印象が強かつたが、その日はフオービートを堅実に刻んでゐて好感がもてた。おつと、さう言へば、思ひ出した。彼とスタンリーは共にミシエル・ペトルチアーニと共演したことがあるではないか。迂闊にもそのことを忘れてしまつてゐた。



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11月28日@ブルーノート東京

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