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日記・コラム・つぶやき

2011年3月28日 (月)

愛の数

いろいろなところで東北地方太平洋沖地震の被災者の方々に対する義援金活動が為されてゐるが、You Tubeにそれに関する動画で編集の優れてゐるものがあつたので、それをここに転載しておかうと思ふ。AKB48はご存知の方が多いと思ふが、現在最も人氣のある日本の女性アイドルグループで、彼女たちの集めた義援金は六億円を超えたといふことが最近のニユースで明らかにされた。なほ、動画のバツクに流れる曲は「愛の数」といふ歌で、歌つてゐるのはAKB48の姉妹グループ、SKE48である。


2010年12月13日 (月)

村上佳菜子といふスケーター

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今年の八月にプロスケーターの八木沼純子が率いるプリンスアイスワールドチームの公演を岡崎で観たが、そのときの出來事である。そのときゲスト・スケーターの中に一人の少女が居て、私はその少女の元氣溌剌とした、如何にも滑ることが楽しくて仕方が無いといつた雰囲氣の演技に魅了されたのであるが、彼女が、スパイラルといふのであらうか、両手を鳥の翼のやうに広げながら、片足を腰の上の高さまで上げたままの姿勢で、緩やかな曲線を描きつつ、コーナーへと流れるやうに滑つて來たとき、そのコーナーの客席に座つてゐた私に視線を向けたかと思ふと、そのままにつこりと微笑んだので、私は大いに吃驚したといふことがあつた。

もちろん、彼女が私を知つてゐるはずは無いので、それは単なるシヨー用の笑顔に過ぎず、それがたまたま私に向けられただけのことであつたと思はれるが、それは無理やり作つたやうな笑顔ではなく、その可憐で少し恥ずかし氣な眸は間違ひ無く私の眼にその焦点が当たつてゐた。そして、そんな、私をじつと見たと表現してもよいやうな眼差しはそのままにして、あたかも、わたしはかうやつてスケート靴を履いて踊つてゐる姿を澤山の人に観てもらふのがたまらなく好きなの、どう、わたしのこんな演技と滑り方、氣に入つていただけたかしら、と問ふがごとくに、彼女の顔が私の顔のはうにぐつと迫つて來るやうなものであつたから、私は予想もしてゐなかつた出來事に面喰ふと同時にかなり動揺したのであつた。

そして、それからおよそ二箇月後、私は再びその少女スケーターのパーフオーマンスを観る機會に恵まれた。それはほかならぬ名古屋で行はれたNHK杯国際フィギュアスケート競技大會においてであつた。そのとき彼女は初めてのシニア・グランプリシリーズ参戦で、その表情からは緊張感が隠せないのが見て取れたが、その持ち前の、子うさぎが春の野に出て、ぴよんぴよん跳ねて遊び廻るやうな元氣のよい滑りを遺憾無く披露してくれた。そして、結局、シニアの精鋭女子スケーターが覇を競ふその大會で三位となり、観戦してゐた私を驚かせたのであつた。

しかし、そのときの健闘は彼女にとつて序章に過ぎなかつた。彼女はそれからアメリカで行はれたグランプリに見事優勝し、グランプリ・フアイナルへと駒を進めた。そして、今週末、北京で行はれたそのフアイナルで彼女自身のベスト・スコアを叩き出し、欧州選手権三度優勝のカロリーナ・コストナーに0.01差の三位といふ結果を勝ち取つて、その名を世界に知らしめたのであつた。

さて、フイギユアスケートに少しでも関心のある人なら、その少女の名前はまうお判りであらう。さう、彼女の名前は村上佳菜子である。村上は昨年、ジユニアの世界選手権のタイトルを取つてゐるが、この一年間で更に成長したやうに思はれる。短期間ではあるが、これまでに成し遂げた見事な成績から考へて、村上は安藤美姫や浅田真央といつたトツプスケーターに続く女子フイギユア界のホープと言つても差し支へないであらう。

残念ながら、今年はフイギユアスケート界のいちばんのスターである浅田が不調であるが、この村上の成長はフイギユアスケート・フアンにとつて朗報に違ひない。そして、幸ひなことに、今年の女子フイギユアは安藤、鈴木明子の両選手の滑りが好調である。それに十六歳になつたばかりの村上が加はつて、次の日本選手権、そして代表に選ばれた場合での世界選手権でそれぞれがどんなパーフオーマンスを見せてくれるであらうか。今からとても楽しみである。

2010年10月 3日 (日)

藝協まつりin 名古屋2010  續篇

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大家 「お前さん、歌丸が出たと言つたが、元氣だつたかい?少し前に体調を崩して入院したといふことを聞いたが」

八つあん 「へえ、ほかの咄家連中はその話をマクラにして歌丸師匠をからかつてましたが、からかはれるといふことはそれなりに元氣といふことで、今回、師匠の『紙入れ』をわつしは楽しく聴かせてもらひました」

大 「さうかい、そりや、よかつた。小柳枝はどうだつた? わしはいつぞや小柳枝の『桃太郎』を聴いたことがあつたが、その語り口のうまさに感心したことがあつた」

八 「へえ、小柳枝はわつしも大好きでね、今回、奴さんが居なかつたら大須に三日も滞在したかどうか判らないといふわけで、へへ。ですが、大家さん、今回はちよつとばかり不味いことがありましてね」

大 「不味いこと? 一体何があつたんだね?」

八 「へえ、二日目の出來事でした。仲入りの後、遊雀、樂輔、動物ものまねの江戸家まねき猫と続いて、最後に小柳枝となりました。そして、奴さん、得意にしてゐる『唐茄子屋』を演つたんですが」

大 「うむ、それで?」

八 「へえ、そのときは『唐茄子屋』の全部は語らなくて、若旦那の徳がかごを担いで吉原の裏手へやつてくるところまでだつたんですが、その裏手で徳が今までのことを反省したり吉原の花魁のことを思ひ出したりして、聴き手をしんみりとさせる、その話のクライマツクスと言つてもいいやうなところで、どういふわけか、どこからともなく演歌のメロデイが流れてきましてね、わつしは吃驚してしまひました」

大 「ほう、演歌のメロデイね。最近の落語は変はつたことをするね、お囃子ぢやなくて演歌を効果音に使ふとは」

八 「いえいえ、さうぢやござんせん、その演歌のメロデイは携帯電話の着信音だつたんで。それが、また、持ち主が居眠りしてゐるのか、なかなか鳴り止まないんです。まつたく、酷い話です」

大 「さうか、すると、場内に流れた演歌は客の携帯の着信音で、それが落語のBGMになつたといふわけだな、はつはつはつは」

八 「大家さん、笑ひ事ぢやありませんよ。小柳枝の名人藝がそのおかげで一遍で台無しになつてしまひましたからね。小柳枝の心中も穏やかではなかつたと思ひますが、わつしも、あんなに腹が立つたことは無かつた。そのとき、その携帯の持ち主に殺意を覚えたくらゐです」

大 「うむ、お前さんの氣持ちもよく判る。ところで、その着信音のメロデイはどんな歌だつた?」

八 「へえ、たしか、美空ひばりの『川の流れのやうに』でした」

大 「なに、ひばりの歌とな。それぢや、お前さん、おこつても仕方が無い」

八 「そりや、一体、どうしてです?」

大 「だつて、お前さん、ひばりだから・・・」

八 「な~るほど、大家さんの言ひたいことが判りました! へへ、おつしやる通り、小柳枝はそのときトリでした」

おあとがよろしいやうで。


2010年9月28日 (火)

藝協まつりin 名古屋2010 

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大家 「おや、八つあんぢやないか、しばらく顔を見なかつたが、どうした?」

八つあん 「へえ、お伊勢さんにお参りに行つてまいりました」

大 「ほお、それは、それは、ご苦労さんでした。それぢや、お前さんにもきつとお伊勢さんのご利益が・・・なるほど、さうか、判つた、それで今日は土産に買つた赤福饅頭か何かを持つてきたといふわけだな? ふふ、さうか、さうか。ま、土産ならなんでもありがたいが、それが赤福だつたら一層ありがたい。わしや、赤福が大好きでな」

八 「いえ、さうぢやござんせん。お伊勢さんへのお参りはよかつたのですが、途中で余計な失費があつたのがまずく、懐がすつかり寒くなりまして、へへ、そこで今月の店賃は・・・へへ、少し待つてもらふわけにはいかないかと、まあ、さういふわけです、へへ」

大 「なんだよ、土産を持つてきたのではなく、店賃を待つてもらひたいといふお願ひかい。参つたね、どうも。しかし、余計な失費とは、一体どういふことがあつたんだい?」

八 「へえ、大家さんもご存知と思ひますが、わつしは落語が大好きでして」

大 「ああ、知つてをる。お前さんは亡くなつた圓生や小さんの落語を今でもDVDなどで聴いてをるさうぢやな。わしも落語は嫌いではないが、それがどうした?」

八 「へえ、実は、お伊勢さんから帰る途中に名古屋の大須に寄りました。大須には大須演藝場といふ小屋がありますが、そこをちらつと覗かうと思つたからでして。大家さん、大須演藝場はご存知で?」

大 「うむ、知つてをる。演藝通には有名な演藝場だが、何度も潰れかけたといふ噂を聞いたことがある。客より出演者のはうが多い、夏は木戸銭より小屋の前の自動販賣機の賣り上げのはうが多い、などといつた話も聞いたことがあるな」

八 「へえ、そんな大須演藝場ですが、わつしがそこへ参りますと、丁度「藝協まつり」が催されてをりまして、大勢の藝達者な落語家だけでなく、わつしの好きな檜山うめ吉が出演してゐるぢやありませんか、それを知つたのがいけなかつたんですな、結局、大須に三日間ほど滞在してしまひました」

大 「なんだい、その藝協まつりとか、なんとかうめ吉とかいふのは?」

八 「へえ、東京の落語家の集まりで落語藝術協會といふのがありますが、そこに所属してゐる澤山の藝人さんたちが一年に一度名古屋に出張して、およそ二週間に渡つて公演を行ひます。それが「藝協まつり」、正確には「藝協まつりin 名古屋」といふもので、檜山うめ吉といふのはその藝協に所属してゐる女性の藝人です。このうめ吉姐さんは三味線を弾きながら民謡や都々逸を歌つたり、お囃子に合はせて踊つたりするんですが、これがまた、粋で艶つぽくて、へへ、わつしは池袋演藝場で初めて姐さんを観たんですが、一遍でフアンになつてしまひました」

大 「ふーん、さうかい、それで余計な失費にあいなつたといふわけだな。まつたく、お前さんにも困つたもんだ。それはさうと、落語のはうはどんな連中が出てゐたんだい?」

八 「へえ、わつしが聴いたのは、桂歌丸、春風亭小柳枝、三笑亭夢太朗、桂米助、春風亭柳橋といつた真打中の真打と言はれる師匠たちと、三笑亭夢花、三遊亭遊馬、三遊亭遊雀、橘ノ圓満といつた生きのよい若手連中の話でしたが、どれもこれも熱演で、満員の演藝場は大いに盛り上がつたといふわけでして、へへ」

大 「へええ、大須演藝場が大盛況とは、驚いたね」

(つづく)

2010年8月25日 (水)

すみだストリートJAZZフエステイバル

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最近よく耳にするのは「ストリートジヤズ」あるいは「ジヤズストリート」と銘打つたイベントである。タイトルからお判りのやうに、これは路上や街角で誰もが氣軽に聴くことのできるジヤズの演奏會を開いて街中が盛り上がらうといふ催し物である。要するに、音楽で街の中の閉塞的な空間を満たし、その地域の活性化を図らうとするものであるが、どういふわけか、今は各地でこのやうなイベントが盛んに行はれてゐる。

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先驅けとなつたのは二十年ほど前に始められた仙台市の「定禅寺ストリートジヤズフエステイバル」と思はれるが、それが成功して軌道に乗るやうになつてから、無料で楽しめるジヤズフエステイバルを市民ボランテイアが中心となつて運営するといふ形態はどんどんと広がり、今では神戸、岡崎、静岡、金沢、新潟など、多くの都市で「ストリートジヤズ」が盛大に行はれてゐる。中でも大阪の高槻市で行はれる「高槻ジャズストリート」は規模が大きく、昨年は参加ミユージシヤン3000人、観客12万人を集めたと言はれてゐる。

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ところで、私はジヤズが大好きであるから、このやうなイベントは大歓迎で、それが末永く続けられてゆくことを強く願つてゐるが、不思議に思ふのは、そのやうな町おこし的なイベントに何故ジヤズといふ音楽が好まれるのかといふことである。ジヤズはクラシツクやロツクに較べたらずつとマイナーな音楽である。それに、それは決して大衆向けの音楽とは言へない。むしろ、ジヤズといふのは“大衆的なもの”に反抗し、そこからもつと高い所へ逃れて行かうとする音楽である。それがどうしてそのやうなイベントに好んで利用されるのであらうか。

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そんなことを考へたときに、私は或るインターネツトのホームページが行つた調査結果を思ひ出した。その調査はジヤズといふと思ひ浮かぶイメージは一体どのやうなものかといふもので、一般の人々がその質問に答へた結果が示されてあつたが、その第一位は「大人といふ感じ」、第二位は「お洒といふ感じ」、第三位が「お洒落な感じ」といふ結果であつた。

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「大人といふ感じ」は言ひ換へればなんとなく知的で高級、「お洒といふ感じ」は寛いだ氣分にさせてくれる、「お洒落な感じ」はソフイストケイトされてゐて都會的、といふことになると思ふが、一般の人々がジヤズに対してそのやうなイメージを持つてゐることと「ストリートジヤズ」が隆盛を極めてゐることはおそらく無関係ではないであらう。つまり、街を上げての音楽イベントが低俗なものであつては駄目で、やはり、ある程度上品で高級なものでなければならない、となると、それにいちばん適してゐる音楽はジヤズといふことになるのである。

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と言つても、なにも、ほかの音楽、例へばロツクや演歌が低俗と言つてゐるわけではない。ただ、それらの音楽はこのやうなイベントには余り向いてゐないと言へる。何故なら、ロツクやポツプスは高い年齢層に受け入れられ難いし、演歌では若者にそつぽを向かれてしまふ恐れがあるからである。では、高級で上品な音楽と思はれてゐるクラシツクはどうかといふと、路上でビールを片手に氣軽に楽しむといつたことができないから、これもまた適さない。となると、最後に残るのはジヤズといふことになるのである。それに、日本人の場合、ブルース、ラテン、レゲエ、ボサノバ、ゴスペル、カントリーといつた種々雑多な音楽をジヤズといふ一つのジヤンルに含めてしまふ傾向があるので、イベントのタイトルにジヤズと銘打つたはうが澤山の人が参加できるうへに観客もいろいろな音楽を楽しむことができるといふ利点があるのである。

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といふわけで、日本では今「ストリートジヤズ」がブームとなつてゐるのであるが、東京の墨田區でも今年、有志たちによつてそれが始められることになつた。8月21日、22日に錦糸町界隈で催された「第一回すみだストリートJAZZフエステイバル」である。 寫眞はそのときに撮影したものである。


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2010年7月20日 (火)

しーちやん

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昨日は久し振りにアイススケートシヨーを楽しんだ。家からほど近い東伏見のスケート・リンクで先週の金曜日から行はれてゐた「プリンスアイスワールド 2010」といふ公演に出かけたのである。休日と言つても折からの猛暑で、普段ならなかなか家から出る氣にならないが、涼しさの味はえるスケートシヨーなら別で、しかも歩いて行けるほどの距離の所でトリノ・オリンピツクの男女ゴールド・メダリストの荒川静香、エフゲニー・プルシエンコをはじめ有名スケーターの演技が澤山観られるといふ話を聞いたからにはそのチヤンスを逃すわけにはいかなかつた。

この日は千穐楽といふことで、みんな張り切つてゐたのか、熱のこもつた見事な演技の連続であつたが、最も印象に残つたのは静香嬢の貫禄のある、さすがゴールド・メダリストと言へる演技であつた。赤と黒の衣装でフラメンコの曲を情熱的に踊つてくれたが、その美しさは格別で、イナバウアーやビールマンスピンといつた彼女が得意としてゐる技は言ふまでもなく、ひとつひとつの細かい仕草にまで眼は吸い寄せられてしまつた。また、最近はかなり痩せたやうに見受けられるが、その分動きにキレがあるやうで、最後のはうで連続ジヤンプをこれでもか、これでもかといふほど決めたときには正直びつくりしてしまつた。勿論、場内が大いに沸いたのは言ふまでもない。

なほ、プリンスアイスワールドを観るのは今回が初めてで、プリンスアイスワールドチームの演技を観るのも初めてであつたが、二時間を超えるそのシヨーに絶え間なく登場する彼等のグループ演技もなかなかよかつた。その演技は子供連れのフアミリー向けに作られてゐるので、競技會などで観られるやうな本格的な演技を期待する向きには少々不満な内容かもしれないが、私にはそれなりに楽しめるものであつた。いろいろな藝を披露してくれたが、それぞれ得意技といふものを持つてゐるやうで、次に観るときには全体ではなく一人一人、的を絞つて観察したいと思はせてくれた。

寫眞はふれあいタイムに撮つたものであるが、カメラに氣が附いて手を振つてくれたしーちやんにこの場で一言、ありがとうとお礼を述べておかう。


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背中を見せてほしいといふリクエストに答へて

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2010年6月29日 (火)

若い太陽の塔

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三箇月ほど前の話になるが、故郷に帰つた折に、町の外れにあるモンキーパークといふテーマパークへ足を運んで、そこで一般公開されてゐる故岡本太郎製作の「若い太陽の塔」を見物してきた。「若い太陽の塔」は岡本が1969年に創つたもので、大阪萬博の「太陽の塔」の試作と言はれてゐる。

実は、この塔は当初からモンキーパークで一般公開されてゐたが、維持管理が難しいため数年前から未公開になっていた。しかし、同パークが今年、開業50周年といふことで、それを記念して、再び一般公開されることになつたのである。因みに、モンキーパークは名鉄が京都大学霊長類研究所の協力を得て運営する、サル類動物園と遊園地が一緒になつたテーマパークである。

私はこの塔の存在を以前から知つてゐたが、それが岡本太郎作とはこれまで知らなかつた。また、それを間近で見たのは今回が初めてであつた。帰省したときなどに、小高い丘の上に聳える塔の頭の部分を遠くから眺める機會が何度かあつたが、なんだか「太陽の塔」と似てゐるな、と思ふだけで、その作者はおろか、それが何を意味するものか知りたいといふ氣には、失礼ながら、決してならなかつた。それが岡本の作品と知つたのは今回の帰郷の直前で、再び公開されることになつたといふ新聞の記事によつてである。

とにかく、その記事は何も知らない私を少しばかり驚かせ、モンキーパークへ足を向けさせることになつた。だが、私は別に岡本太郎フアンといふわけではない。造形美術に特に興味があるわけでもない。今回のその塔見物は、彼の作品が故郷にあるなら一度はしつかりと鑑賞しておきたいと思つたのと、公開期間が限られてゐるので、次に見られる機會はまう訪れないかもしれないと思つたからである。つまり、単なるミーハーと言はれても仕方の無い動機からであつた。

さて、その間近に見た「若い太陽の塔」であるが、色が剥げたり錆びたりしてゐるところがあちこちに見られ、40年といふ年月の長さを感じさせたが、想像してゐたものよりも大きく、さすが岡本の作品で、それなりに迫力のあるものであつた。正直、その良さや藝術的価値は私には判らないが、傍らにある古びた碑に記された岡本太郎の「若い太陽」と題する短い詩を読んだとき、その塔を創ることによつて岡本が何を表現したかつたのかといふことだけはある程度判つたやうな氣がした。


“若い太陽”

「ひろびろとした丘の上に“若い太陽”が生れる
 日に日に新しく生れ変るわれわれの生命の象徴
 金色に輝く顔はおおらかにバイタリティを放射する
 赤 青 緑の粧(よそお)いは濃い青春の彩りである」

                          岡本太郎


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塔より町を眺める
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寫眞は4月5日に撮影

2010年2月28日 (日)

NATIONAL PRIDE BLAZING

日本中が注目したバンクーバー・オリンピックの女子フィギュア・スケートはキム・ヨナ(韓國)の圧勝といふ結果に終はり、期待された浅田真央は銀に甘んじたが、競技が始まる前日のアメリカの或る電子新聞にこんな記事があつた。バンクーバーで浅田とキムに張り附いてゐる両國のスポーツ記者の多さは群を抜いてゐるが、その中の或る韓國の記者は二人の戦ひについて聞かれると、「これはスポーツではない、戦争である。もしキムが負けたら我々は死ぬことになる」と答へたといふ。

これを読んだときは少しばかり吃驚したが、過去の歴史において日本と韓國の間にいろいろなことがあつたことを考へると、その記者の発言は韓國の人たちの思ひを代表するものなのかもしれない。いづれにしても、いろいろと考へさせられる記事ではある。浅田とキムの戦ひが戦争であるとしたなら、今頃韓國は憎き敵國に大勝したといふことで國中が沸き返つてゐることであらう・・・・・・といふ皮肉は言ふまい。

さて、外國の電子新聞に興味を引く写真があつたのでここに転載しておくことにしよう。上の写真はフィギュアの鈴木明子選手でドガの絵のやうなタッチが面白い。下の写真はカーリングで優勝したスウェーデンの選手であるが、その喜びの表現は二人の関係はひよつとして・・・と勘ぐられるやうなものではなからうか。


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Curlkiss

2010年1月12日 (火)

バーバラ村田

三連休と言つても、このところ寒さが厳しいので、なかなか遠出する氣にはならないが、中日の10日はJRを乗り継いでさいたま新都心へ出かけた。駅の周辺で行はれる大道芸フエステイバルにHIBI★Chazz-k(ヒビチヤズケ)とバーバラ村田が出演するといふことをネツトで知つたからである。

HIBI★Chazz-kはジヤズを演奏する五人組のサツクス・アンサンブルでバーバラ村田はパントマイムを演ずる女性のピン芸人である。ともにお氣に入りのヘブン・アーテイストで、彼等が出演する催し物にはなるべく足を運ぶやうにしてゐるが、今回も期待に違はず熱いパーフオーマンスを繰り広げてくれた。内陸特有の強い寒風の中に立つて観てゐるのは少々難儀なことではあつたが、わざわざ埼玉まで出かけた甲斐はあつたやうである。

HIBI★Chazz-kのことは以前記事にしたので今回はバーバラ村田を紹介しよう。彼女のパントマイムは人形を使つた古典的なものであるが、彼女なりの味附けがされてゐて個性的かつ魅力的なものに仕上げられてゐる。紳士(人形)との恋愛ストーリーは世紀末のヨーロツパの雰囲氣で、彼女を観てゐると映画の中のマレーネ・デイートリツヒを想起するが、そこに吉本新喜劇のやうなコミカルなものとマリリン・モンロー的なコケテイツシユな魅力が入り混じつてゐる、そんな印象のパーフオーマンスである。それはともかく、彼女が藝を披露してゐるところを眼にする度に、その美しい御御足につひ眼が行つてしまふ小生である。

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2009年12月30日 (水)

味噌ラーメンと俳句

以前、某文化センターの俳句講座に出席してゐたことがある。講師は深見けん二先生であつた。先生は「ホトトギス」の同人で高濱虚子や山口青邨に師事されたことがあり、大正生まれといふ高齢にもかかはらず、現在も創作の傍らいろいろな雑誌や俳句番組の選者としてご活躍中である。

その深見先生のことを味噌ラーメンを食すときに度々思ひ出すことがある。何故なら、その頃冗談半分に味噌ラーメンを詠んだ句を作つたことがあつたが、それがどういふわけか先生に認められ、特選に選んでゐただくといふ光栄に浴したからである。その時はもちろん嬉しかつたが、少しばかり吃驚した。

しかし、自分としてはその句に対して今ひとつ満足できないでゐた。何故なら、季語がぴつたり嵌つてゐないやうに感じたからである。そこで、季語だけ少し替へてみたがどうであらうか。


短日やもやしばかりの味噌ラーメン

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