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音楽

2011年1月19日 (水)

林英哲プレイズ『プレイゾーン組曲』

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山下洋輔がプロデユースする東京オペラシテイのニユーイヤー・ジヤズ・コンサート、今年は和太鼓奏者の林英哲をフユーチヤーした内容で、そのタイトルは『林英哲PLAYS PLAY ZONE』であつた。『PLAY ZONE』といふのは山下洋輔が林英哲のために書いた作品で、6つのパートから成る組曲を、和太鼓と、バイオリン、チエロ、クラリネツト、フアゴツトといつた西洋の楽器で構成される室内楽とが一緒になつて演奏するといふ大変ユニークな楽曲である。

2002年に林英哲と、ベルリンフイルのメンバーで結成されたベルリン・シャルーン・アンサンブルといふ室内楽團によつて初演されてゐるが、今回、弦楽器と木管楽器のパートを務めたのはN響や讀響といつた一流オーケストラに属してゐる八人の有能な若手アーチストたちであつた。因みに、彼等のグループ名は新春遊撃八重奏團といふ思はず笑つてしまふやうなものであつたが、その名から判るやうに、彼等のグループとしての活動は今回限りのもののやうであつた。また、今回演奏されたものは改訂版で、編曲を担当したのは狭間美帆といふ国立音大出身のまだ二十代前半といふ若い女性であつた。

さて、それを聴いた感想を述べようと思ふが、これがなかなか難しい。以前、同じ林英哲の大太鼓とオーケストラの共演を聴いたことがあるが、このやうな和太鼓(大太鼓を含む)をフユーチヤーした室内楽といふものは初めてであつたからである。しかし、全体として、そこに緊張感のある濃密な音空間といふものが作り出されてゐるのは感じ取ることができた。そして、それは言ふならば、プリミテイブなもの(和太鼓といふパーカツシヨン)と都會的でソフイストケイトされたもの(室内楽)との拮抗から生まれる、そのやうな極めて新鮮でユニークなものであつた。

東洋音楽と西洋音楽の融合といふ見方もできるが、それは取り立てて問題にすることではないであらう。何故なら、和太鼓は邦楽器と言つても、琵琶や尺八と異なり、西洋の打楽器と余り違はないからである。さういふ意味では、その演奏に武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』にあるやうな“異質なものがぶつかり合ふ面白さ”といふものは特に無かつた。しかし、それは作曲者の山下もほとんど意図してゐなかつたと思はれる。山下の狙ひはあくまで林英哲のオリジナリテイ溢れる太鼓表現と、メロデイや和音を奏でる楽器とのコラボレーシヨンによつて産み出される何か新しいものであらう。そして、それはかなりのところ成功してゐるやうに思はれた。

ただ、林の和太鼓から放たれる音楽的エネルギーはとても大きく、それに対抗する遊撃隊の数が八人では少々バランスを欠いてゐるやうに思はれるところがあつた。この楽曲には体育會系のもの(和太鼓)と文科系のもの(室内楽)とのバトルといつた側面があるが、この場合は体育會系のものがあまりにも強すぎたといつたところであらうか。そのこともあつて、演奏を聴いた後に、この作品は和太鼓とフルオーケストラといふ形で一度聴いてみたいものだ、と思はないではゐられなかつた。だが、演奏者もそのやうに感じたらしく、近いうちにそれは実現したいといふことであつた。楽しみに待つことにしよう。

休憩を挟んだ二部では、山下洋輔と縁の深い故岡本喜八監督へのオマージユとしての山下作曲の映画音楽、山下と林のデユオによる『ボレロ』などが演奏されたが、特に印象に残つたのは岡本監督の映画『助太刀屋助六』の音楽の演奏で、山下のピアノから彼に似合はぬ(?)大変ロマンチツクな美しいメロデイが流れ出てきたときにはとても吃驚した小生であつた。


1月15日@東京オペラシテイ コンサートホール

2010年12月19日 (日)

シンフオニーホールの上原ひろみ

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昨年のクリスマスイブは上原ひろみといふ小柄な女性のサンタクロースが錦糸町のすみだトリフオニーホールに現れて、サンタといふよりはサンタの傳説を信じて疑はない女子高生と形容したはうがよいやうな屈託の無い笑顔を見せながら、私の前に素晴らしいプレゼントを差し出してくれたが、その上原サンタは今年はどういふわけかイブの十日前に大阪のシンフオニーホールに出現するといふ。そして、そこで昨年と同様、上質で心から感動する音楽に飢ゑてゐる人々に最高の施しをしてしてくださるといふことで、昨年経験したことが忘れられない私は東京からわざわざその大阪まで出かけて行つた。

シンフオニーホールは初めてであつたが、中に足を踏み入れた途端、このホールは良い箱だなといふ印象を持つた。狭くもないが広すぎることもない、クラシツクを聴くには丁度よいと思へるやうな広さで、音響のことも充分考へられてゐるやうな作りであつた。同じやうな、客席がステージを取り囲んでゐるホールに東京のサントリーホールがあるが、そのサントリーホールを少しだけ小さくしたやうな感じで、オーケストラのコンサートを聴くときには、いつもこのやうな空間で聴きたいものだ、と思へるやうなホールであつた。つまり、いつもとはちよつと違ふ、大人数の音楽隊を引き連れたその日の上原サンタにとつて、それは申し分の無い、打つて附けの舞台と言つてよかつた。

さて、そのホールへ集まつた人々への上原サンタのその日の贈り物であるが、これがまた昨年のものに優るとも劣らない素晴らしいものであつた。当初、私はその日の贈り物の中身は昨年のものと余り変はらないであらうと思つてゐた。オーケストラは新日本フイルから大阪センチュリー交響楽団に、指揮者は沼尻竜典からロッセン・ゲルゴフに変はつてゐるが、演奏される曲はおそらく昨年のトリフオニーで披露されたものと同じで、指揮者も上原より年下といふことから自分の色を強く出すやうなことはしないと思はれたからである。ところが、私のその予想は良い意味で大きく裏切られることになつた。プログラムは思つた通り全く同じであつたが、その内容は全然違つてゐたからである。

まづ、演奏された曲のアレンヂであるが、ほとんどの曲のそれが昨年とはかなり異なつてゐることに氣附かされた。例を挙げると、この日も演奏されたビクター・ヤング作曲の「GOLDEN EARRINGS」である。前回は上原のソロから始まつたが、その日は導入部分をコントラバスが演奏し、メロデイ・ラインをトランペツトが謳ひ上げるといふ構成に変はつてゐた。つまり、上原のピアノよりもオケの演奏に重点を置かれたものに変はつてゐたが、これはこれでソフイストケイトされた上品な味はひのある演奏であつた。

また、上原作曲のピアノ協奏曲の「STEP FORWARD」もいろいろなところに改変が見られた。特に顕著であつたのは第三楽章で、ここには上原とドラムを担当する打楽器奏者が二人で掛け合ひを演じるところが新たに加へられてゐた。そして、その掛け合ひがジヤズで言ふところのバトルのやうなもので、そのやうな演奏をすることに慣れてゐないにもかかはらず、上原の容赦の無い攻撃をがつちり受け止めたその打楽器奏者の熱演が印象的であつた。因みに、上原は後に自身のブログでその打楽器奏者のことを「あえてドラマーと呼びたいプレイをしてくれた、パーカッショニスト」と表現してゐる。

言ふまでもないが、その日の演奏曲のアレンヂがそのやうに異なつてゐたのは、上原本人の考へによるものであらう。昨年の新日本フイルとの共同作業の経験から、自身の編曲したものに修正点が見つかつたり、新しいアイデアがいろいろと浮かんだりして、暇を見つけてはそのスコアに手直しを加へたと推測される。そして、その推敲を重ねたものが実際に音となつて現れたのがこの日の演奏であつたと言つてよいであらう。いづれにしても、上原がオーケストレーシヨンに並々ならぬ関心とその創造に強い意欲を持つてゐることが判つたのはその日の収穫のひとつであつた。

また、指揮者とオケが違ふと、かうも音楽が違ふのか、と改めて認識させられたのがその日の演奏であつた。新日本フイルの場合は上原との間にしつくり來ないところが少しあるやうに感じられたが、その日はそのやうなものが全く感じられなかつた。それどころか、その日の大阪センチュリーは上原言ふところの「ノリノリで演奏してくれたオーケストラ」であつた。そして、その“ノリノリのオーケストラ”を指揮したのはブルガリア出身の二十九歳のロッセン・ゲルゴフであつたが、この若きマエストロの力がその日のコンサートの成功に大きく影響したやうに思はれた。

確かに、ゲルゴフの指揮者としての力量は沼尻竜典を上廻るとは言へないかもしれない。だが、彼の利点は上原と年齢が近いといふことで、それ故、上原とコミユニケーシヨンがうまく取れて、彼女の考へを的確にオーケストラに傳へることができたのではないかと私には推測できた。そして、事実、そのやうなタクトの振り方であつた。ジヤズのスイング感を表現することに慣れてゐないオーケストラを上手く操つて、彼等の演奏を“ノリノリ”の状態にすることに成功してゐた。因みに、その日、上原とゲルゴフの二人は曲が終はる度にハグを繰り返すといふ仲の良さで、それは上原の夫君が嫉妬を覚えなければよいがとこちらが心配するほどであつた。

といふわけで、サンタの仕事を手傳ふ従者の顔ぶれは変はつたが、上原サンタが彼等と一緒になつて作り上げてくれた今年のプレゼントはまた格別なものになつた。それは料理に喩へるならば、同じ献立のものを出されたが味附けは全く違つてゐた、だが、それは同じやうに極上の味であつた、といふことになるであらう。そして、今年も上原サンタはサービス精神が旺盛であつた。その日のアンコールのピアノソロは、言ふならば、フルコース料理のデザートのやうなものであつたが、それは実に美味しい、名のあるパテイシエが作つたクリスマスケーキのやうなものであつた。そこで、大阪の“がめつい”お客さんがなかなか席を立たず、何度もそのデザートのお代はりを要求したのは当然の成り行きであつた。しかし、シエフである上原サンタはとても優しかつた。はいはい、判りました、次はどのやうなものを出しませうか、とそれに笑顔で何度も快く応じたのであつた。



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12月14日@大阪シンフオニーホール

2010年12月 3日 (金)

ブルーノート東京の上原ひろみ

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久し振りに青山のブルーノートに顔を出した。お目当ては上原ひろみを擁するスタンリー・クラーク・トリオである。予約しておいたのは自由席なので、良席を手に入れるためにはかなり早い時間に店頭に着いて列に並ばなければならないが、うつかりして十二時過ぎまで寝てしまひ、私鉄とJRと地下鉄を乗り継いで表参道駅まで行き、そこから高級マンシヨンの立ち並んでゐる、私のやうな田舎者にとつて親しみやすいとはとても言へないやうな通りを暫く歩いてから、ミユージシヤンのシルエツトがなんとなく寂しく描かれた看板のある店の、クリスマス用に申し訳程度にデコレイトされた入り口のドアを黒人のドアボーイに無造作に開けてもらつて、小さな映画館にあるやうなロビーに入つたときには既に整理券の配布中で、やや長い列の最後尾に並んで、コースターのやうなものに番号を書いた丸い整理券を無表情な店員から役所で申請書を貰ふやうな感じで受け取ると、そこに記されてあつたのは案の定、三十番台といふあまり嬉しくない数字であつた。三十番台といふと、カツプルやグループの客が多いことを考へると、少なくとも六十人くらゐの人が私より早く既得権を手に入れてゐるといふことで、前のはうの座席を確保することは全くの望み薄と言つてよかつた。因みに、ブルーノートのステージ前の自由席はおよそ六十席である。

ところが、近くのスターバツクスで暇を潰して開場時間に店に戻り、ウエイターに促されて席を探す段になると、中央の良席は埋まつてゐたが、やや端とは言へステージにかなり近く、演奏中の上原の顔がよく見えるやうな所にぽつんと一つだけ席が空いてゐるのが見えた。そして、そこに幸運にも座ることができて、その日に願つてゐたものが一つ叶へられたのであつた。前回、ブルーノートでひろみ嬢の演奏を聴いたときは彼女の汗が飛んでくるやうな席であつたが、眼の前にあるのはその後ろ姿だけで顔の表情が全く見えないのが不満であつた。そこで、今回はそれがよく見える席を実は狙つてゐたのである。

実際、ジヤズのライブといふことになると、演奏者の顔がよく見えるか否かといふことはかなり重要なことであらう。何故なら、ジヤズはクラシツクなどと違ひ、インプロヴイゼーシヨン、すなはち即興演奏の音楽で、そのときの演奏者の氣分が直接その音楽に現れるからである。特に上原の場合は、彼女ほど演奏中の表情が豊かなピアニストは居ないから尚更である。彼女は演奏中に氣分が乗つてくると、キース・ジヤレツトのやうに腰を浮かして弾いたり、リズムに合はせて足を激しく動かしたりして、その体の動きがダイナミツクになるが、その顔の表情も又同様で、そこにピアノが無かつたら、百面相の芸をしてゐると思はれても不思議ではないほどひつきりなしに、しかも多様に変化するのである。

かと言つて、そのやうな激しい表情の動きに作つたやうなところや嫌味を感じるところは微塵もない。少なくともは私の場合はそのやうに感じられる。歌謡曲やポツプスのミユージシヤンなどが演奏中に大げさな表情を故意に作つて聴衆にアピールすることがあるが、彼女の場合はそのやうな類のものではない。上原の場合は、演奏中の心の動きがそのまま百パーセント顔の筋肉の動きとなつて出てくる、そんな印象を受けるのである。つまり、演奏中の彼女の変化に富む表情の動きは、とりもなほさず、彼女がインプロヴアイズするときに紡ぎ出す絶妙かつ変幻自在なパツセージや和音などと密接に連動してゐると言つてよいであらう。

したがつて、私の場合は、彼女の表情がよく見える所で演奏を聴いて、それで初めて上原ひろみの音楽が百パーセント楽しめたといふことになるのである。そして、その日は幸ひにもそれが実現できたのであつた。ただ、今回はスタンリー・クラークがグループ・リーダーとは言へ、彼のベースソロの時間が長く、上原の演奏時間がそれによつてそれなりに抑へられることになつたのが少々不満であつたが。因みに、太鼓はレニー・ホワイトで、私には彼はどちらかと言へばフユージヨンのドラマーといふ印象が強かつたが、その日はフオービートを堅実に刻んでゐて好感がもてた。おつと、さう言へば、思ひ出した。彼とスタンリーは共にミシエル・ペトルチアーニと共演したことがあるではないか。迂闊にもそのことを忘れてしまつてゐた。



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11月28日@ブルーノート東京

2010年6月22日 (火)

シユニトケの合奏協奏曲第一番

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トリノとバンクーバーの冬季オリンピツクで日本人選手が活躍した所為か、日本では今フイギアスケートに関心のある人がとても多いが、そのフイギアスケートの日本選手の中で今最も人氣のあるアスリートと言へば、なんと言つてもバンクーバーで銀メダルを獲得した女性のA選手であらう。そのA選手の今シーズンの競技プログラムに使用する曲が昨日、彼女の記者會見において公にされたが、シヨート・プログラムの曲は今は亡きロシアの作曲家アルフレツト・シユニトケ(1934-1998)の『タンゴ』に決定したといふ。

これにはちよつとばかり吃驚した。彼女がこれまで使用してきた競技用の曲はシヨパンをはじめドビツシーやラフマニノフといつた有名なロマン派の作曲家のものが主で、一般の人にはあまり知られてゐない現代音楽の作曲家のものを採用するとは思つてもみなかつたからである。実際、今回発表されたフリーの曲はリストの『愛の夢』であつた。

しかし、よくよく考へてみれば何も不思議なことではない。そのシヨート・プログラムの振り附けを担当したのは、昨シーズンまでA選手のコーチをしてゐたタチアナ・タラソワといふフイギア界の大物女性であるが、ロシア人の彼女の夫君はその昔チヤイコフスキー国際コンクールで優勝したピアニストのウラジミール・クライネフで、そのクライネフは十歳年上のシユニトケを師のやうに仰いでゐたからである。(事実、クライネフはシユニトケからピアノ協奏曲を献呈されてゐる)

つまり、かういふことが想像できる。振り附け師のタラソワは音楽のことで常々クライネフのアドバイスを受けてゐたが、今回もA選手に振り附ける曲に関して彼にアドバイスを求めることになつた。当然である、なにしろA選手は世界チヤンピオンであるから簡単に曲を決めるわけにはいかない、それなりに慎重にならざるを得ないのである。すると、そのときの両者のやりとりは以下のやうになり、結局、A選手のシヨート・プログラムの曲はシユニトケの『タンゴ』に決定したのであつた。

クライネフ 「シユニトケの曲はどうだ?」
タラソワ 「シユニトケは私も好きよ。でも少し難しすぎる。あなたが薦めるからブツテルスカヤにやらせたけど、彼女でもうまく消化できなかつた」
クライネフ 「あの難しいラフマニノフの鐘を滑りきつたAならシユニトケはこなせるだらう。割りと聴きやすくて盛り上がりのあるタンゴなんかはどうだらう?」
タラソワ 「歌劇、『白痴との生活』の間奏のタンゴね! ええ、あれはいい曲だわ。マオイチカもまう大人だし、あの曲で新しい面を披露することができさうだわ」
クライネフ 「うむ、これで一件落着」

とまあ、勝手なことを書いたが、いづれにしても、A選手がシユニトケの曲で氷上を舞つてくれるのは現代音楽の好きな私にとつて大変嬉しい出來事である。この秋にはそれを眼にすることができると思ふが、彼女のパーフオーマンスが一体どのやうなものになるか、今からとても楽しみである。ただ、私のいちばんの希望はストラビンスキーの三大バレー曲、特に『春の祭典』で、これを彼女に滑つてもらひたいと密かに願つてゐるのであるが・・・。

寫眞はクレーメルの率ゐるヨーロツパ室内管弦楽團がシユニトケの合奏協奏曲第一番を演奏したCDである。合奏協奏曲は「多様式」と呼ばれる新しい作曲技法を用いた時代の傑作で、この一番の五楽章に同じ旋律のタンゴが現れる。

2010年6月 3日 (木)

ハンク・ジヨーンズ

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黒人ジヤズ・ピアニストのハンク・ジヨーンズが先月の16日に亡くなつたといふ。詳しい病名は判らないが、今年の四月に体調を崩し緊急入院してゐて、そのまま帰らぬ人となつたやうだ。九十一歳であつた(1918-2010)。

新聞を読むときは必ず訃報欄から読むといふ知人が居るが、新聞を購讀するのを止めて久しい私はこのことを今日初めて知つた。おそらく、彼の死はネツトでも配信されたのであらうが、その記事があまりにも小さくて氣づかなかつたに違ひない。当然ながら、日本のテレビでそれがニユースとなつて流れることはなかつた。ジヤズと言へども、彼はアメリカ国民藝術勲章を授与されたほどの巨匠であるから、その他界についてNHKのニユースなどで一言あつてもよささうなものであるが、それも無かつたやうに思ふ。要するに、日本ではジヤズはまだまだマイナーな文化なのである。2008年の暮に逝去したトランペツターのフレデイ・ハバードの訃報を知つたのも随分と後のことであつた。

それはともかく、これでモダン・ジヤズの創世記から活躍してきたジヤズ・ジヤイアンツはほとんど亡くなつてしまつた。存命なのはソニー・ロリンズ、ロイ・ヘインズくらゐであらうか。奇しくも、戦後間もない頃より長い間、日本のジヤズ文化を牽引してきた雑誌、「スヰング・ジヤーナル」が今月号をもつて休刊するといふ。廣告収入が激減したことが理由らしいが、どうやら、ジヤズの一つの時代が終はりを告げたやうだ、と思はずには居られない。

とは言つても、ジヤズの未來が決して暗いといふことではない。むしろ今よりもつとポピユラーなものになり、それを演奏する人も聴く人もだんだん増えてゆくのではないだらうか。個人的にジヤズといふのは「創造的な即興音楽」と定義附けてゐるが、人間が存在するかぎりそれが無くなることはなく、一般の人々の音楽を聴く耳が発達すればするほど、それは需要を増すと同時に進化し続けていくことになるであらう。実際、昨年の上原ひろみのソロ公演は連夜大入りといふ大変な盛況ぶりであつたが、そのコンサートに詰めかけたのは、ジヤズは判らないが話題に遅れないために一回聴いておかう、といふミーハー的な聴衆ばかりであつたとは決して言ひ切れないであらう。

ところで、ハンク・ジヨーンズを最後に見たのは二年前の東京ジヤズであつたが、今年の二月もグレート・ジヤズ・トリオで來日し、その健在ぶりを見せ附けてゐたので、それが最後になるとは思はなかつた。いづれにせよ、心からお悔やみを申し上げたい。

上の寫眞は私の所蔵してゐる、1956年録音のサヴオイの「HAVE YOU MET HANK JONES」である。このレコードでは、音の粒がコロコロと轉がるやうな彼独特のピアノ・タツチが心地よい寛いだ演奏が楽しめる。

2009年12月26日 (土)

すみだトリフオニーホールの上原ひろみ

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サントリーホールに引き続いて、今度はすみだトリフオニーホールへ上原ひろみを聴きに行つた。前回はソロ演奏のみの公演であつたが、今回は彼女が初めてオーケストラと本格的に共演するといふプログラムである。オーケストラは新日本フイルハーモニー交響楽團、指揮者は沼尻竜典であつた。

指揮者の沼尻竜典は日本人指揮者の中でトツプクラスであり、今いちばん脂が乗つてゐる、と言つてもよいやうな活躍をしてゐるので、ジヤズもクラシツクも好む人にとつては大変興味深いコラボレーシヨンと言へるであらう。何を隠さう、この組み合はせが発表された時から、私もこのクリスマス・イブのコンサートをずつと楽しみにしてゐたのである。因みに沼尻の名前「竜典」は「リュウスケ」と読むのが正しいと思ふが、ひろみ嬢は「タツノリ」と言つて彼を紹介してゐた。多分間違つてゐたのではないだらうか。

それはともかく、結論から言ふと、このコンサートは私の期待を裏切らなかつた。といふより、上原サンタは私に期待した以上のプレゼントをくれたと言つたはうがよいであらう。前回のソロ公演と同様に、このオーケストラとの共演コンサートも又この上も無くエキサイテイングな時間を私に与へてくれたのである。

これまで、ハイドンやモーツアルトから現代音楽の作曲家に至るまで、いろいろな人のオーケストラ作品をコンサートで聴いてきたが、これほど格別で心を動かせられるものは無かつたと言つてもよいくらゐである。勿論、ジヤズ・ミユージシヤンとクラシツク・オーケストラの共演であるから、しつくりしてゐない面もあり、評論家ならいろいろと難癖を附けたがるやうなところがあつたであらう。だが、私にはそれはずつと記憶に残るやうな、ベスト・パーフオーマンスのひとつと言へるものであつた。

今回演奏されたのは自作の曲をオーケストラ用に編曲したものや自作のピアノ協奏曲であつたが、いづれも聴き応え充分であつた。予想した通り、ほとんどの曲がモダン・ジヤズのイデイオムや和声、そしてスイング感を強調したものに仕上げられてゐたが、そこはやはり才能のある上原ひろみの音楽である、単にジヤズをオーケストラで演奏しただけのものではなかつた。ジヤズとクラシツクが融合したものと言へばガーシユインの「ラプソデイ・イン・ブルー」が有名であるが、決してそれの二番煎じ的なものでもない。ガーシユインの曲と決定的に違ふのはその時代よりも進化した和声とリズムの細分化、多様化であらう。

そして、何より印象的であつたのは、それらを人前に披露するのはこれが初めてといふ上原自身の意氣込みと、それを支へようといふ指揮者とオーケストラの思ひが演奏をより熱いものにしてゐたことである。上原は或る雑誌のインタビユーで彼女の演奏は「ピアノとの闘ひ」であると表現してゐたが、今回の「オーケストラとの闘ひ」はそれなりの成功を収めたと言つてよいであらう。休憩の時に出会つた知人は「オーケストラのリズム・セクションがジヤズのビートをこなしきれてゐない」と言つてゐたが、このやうなジヤズ特有の不協和音が溢れ出るコンサートの場合、リズムのパートに微妙なズレが生じたとしても、それも又独特の味があつてよいと言つておかう。

上原のピアノ協奏曲はもちろんよかつたが、特に印象に残つたのは「GOLDEN EARRINGS」と「LEGEND OF THE PURPLE VALLEY」である。ほとんどは上原の曲であつたが、一部の途中、一曲だけそれとは違ふ妙に懐かしいメロデイーが上原のピアノから紡ぎ出されてきた。私は、おや、聴き慣れたメロデイーだが、曲名も誰が演奏してゐたかも思ひ出せない、上原もCDにカバーしてゐないはずだが、はて? と思つたが、まもなく、その曲名が判つた。

その短調の哀愁を帯びたメロデイを聴いてゐると、ぴしつとスーツを着こなして、悠然と煙草をくはへながら微笑んでゐる一人の黒人が頭の中に現れた。その黒人はジヤズ・ピアニストのレイ・ブライアントで、そのダンデイーな格好はその昔足繁く通つてゐた吉祥寺のジヤズ喫茶でよく聴いたプレステイージ・レコードの「RAY・BRYANT・TRIO」のジヤケツトに見られたものであつた。そして、そのレコードの冒頭に収められてゐたのが「GOLDEN EARRINGS」といふビクター・ヤングの曲で、それが上原の弾いてゐるものであつた。因みに、その吉祥寺のジヤズ喫茶は数年前に閉店して今は無い。

「LEGEND OF THE PURPLE VALLEY」はピアノ抜きの弦楽器セクシヨンだけで演奏されたが、これがなかなかよかつた。最初は上原の曲とは判らず、近代の有名な作曲家のものに違ひないが、一体誰の弦楽合奏曲だらう、と思つたくらゐである。上原は作曲においても優れた才能の持ち主であるといふことがこれで証明されたのではなからうか。とにかく、この日のこのコンサートは出色で、今年のクリスマス・イブは思ひ出に残るやうな素晴らしいものになつた。上原と共演者のみなさんには心から感謝したい、とまづは言つておかう。



12月24日 上原ひろみクリスマス特別公演 at すみだトリフオニーホール

2009年12月16日 (水)

サントリーホールの上原ひろみ

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14日の月曜は久し振りに六本木のサントリーホールへ足を運んだ。だが、クラシツクのコンサートではない、ジヤズ・ピアニスト、上原ひろみを堪能するためである。彼女のライブはこれまでに五回ほど体験してゐるが、いづれもサイドメンを引き連れてのグループ演奏で、今回のやうなソロ演奏のみの公演は私には初めてのことであつた。しかし、それはとてもエキサイテイングな素晴らしいコンサートであつた。

彼女のソロ演奏は今までに何度か耳にしてゐて、それがどのやうなコンサートになるのかある程度予想してゐたが、その日の演奏は予想を上廻る素晴らしい内容で、彼女の才能を再認識させられることになつた。どちらかと言へばジヤズのソロ演奏はあまり好まない私であるが、今回のコンサートで、彼女はグループで演奏するよりソロで演奏したはうがずつとベターではないかと思つたくらゐである。

それほどその演奏は彼女の天分といふものが十二分に発揮されたものであつたと言つてよいであらう。何しろ、最初の「アイ・ガツタ・リズム」からそのエネルギツシユなパワーは全開で、時折自らのMCで休みながらも、最後の二度のアンコールまでピアノと一体となつて全力で疾走した、そのやうな演奏であつた。それも音楽的に完璧と言へるものであるから恐れ入る。凄まじいくらゐに早いパツセージにおいても一音たりとも音が外れることが無いのは非凡な上原ひろみであるからこそできることであらう。

なほ、演奏曲のほとんどは彼女が作曲したものであつた。、そのテーマは彼女が世界を飛び廻る間に訪れた都市の風景や風俗から着想を得たもので、彼女自身「自分は世界旅行の添乗員になりますから、みなさん附いてきてください」と言つてゐたが、彼女が演奏中に発する声や時折見せる恍惚とした表情からは彼女自身がその旅行を存分に楽しんでゐるやうに見受けられた。

実際、彼女ほどアグレツシブでアクテイブな添乗員は居なかつたであらう。MCでは「私、食いしん坊なんです」と言ひながら可愛らしい笑顔を見せるが行動は違ふ。「附いてこれない方は遠慮なく振り落としますからね」といふ雰囲氣で高度なテクニツクを駆使して躍動感とイマヂネーシヨンの溢れるインプロビゼーシヨンを展開しながらどんどん先へ進んで行く。世界一周といふより上原自身の内なる世界の熱い部分-それは誰も訪れたことのない未知の世界でもある-へと乗客を導いて行く感じである。

可哀想なのは上原添乗員の助手を務めたピアノ君である。彼女から、あれをしなさい、これをしなさい、といろいろと命令されたあげく、叩かれ、つねられ、蹴られして、旅行が終はつた時にはへとへとの態であつた。要するに、ピアノ君は上原添乗員によつて使ひ倒されたのである。

しかし、そんな仕打ちにもかかはらず、ピアノ君は大変満足氣であつた。上原が全てを出し尽くして舞台を去つて行く時には、その背中を見つめながら、「私はいろいろなことができる、いろいろなことが表現できる、そんな私の良さをこれほどまでに引き出してくれる人は上原さんしか居ない」と呟いてゐるやうであつた。


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追記:その日の観客席の熱氣は凄まじく、サントリーホールであのやうな聴衆のノリを体験したのは初めてのことであつた。しかし、演奏が聴こえないほどの手拍子は少々興ざめである。

2009年10月 6日 (火)

CREAM

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昨日、















NHKのBSで2005年にロンドンで行はれたクリームの再結成ライブの放送があつた。クリームは高校生の頃最も好んで聴いてゐたロツク・グループなので、とても懐かしく、少し身を乗り出すやうにして聴いたが、容貌は衰へても、その当時ロツク・グループの中では最高と言はれた演奏テクニツクは健在で、昔と変はらぬ、クリームだけが成し得るその演奏は久し振りに“格調高いロツク”といふものを味はわせてくれるものであつた。

クリームといふグループは一言で言へば、最高の白人ブルースを聴かせてくれるロツク・グループといふことになると思ふが、彼等を聴いてから、私はブルース・ギターの演奏にのめり込んだ。そして、普通のロツク・グループには真似できない彼等の長いインプロヴィゼーシヨンは私をジヤズへと導いてくれる案内人のやうな役割を果たしてくれた。言ふならば、クリームは私の音楽史の中で“小学校の教師”のやうな存在と言つてよいであらう。

2009年9月13日 (日)

上原ひろみと新日本フイル

Simg_8559 上原ひろみが今年のクリスマス・イブに新日本フイルハーモニー交響楽団とコンサートを行ふらしい。今のところ曲目など詳細は明らかにされてゐないが、上原がオーケストラと共演するのはこれが初めてといふことである。

新日本フイルと言へば、小澤征爾が名誉指揮者を務める、クラシツク界では定評のある楽団である。その楽団と、超絶技巧を武器とする元氣はつらつジヤズ娘、もつと言ふなら日本製の「ピアノの化身」、上原ひろみの共演である。これが本当に実現するなら、それはクラシツクもジヤズも好きな私としては大変興味深い見逃せないコンサートと言つてよいであらう。

だが、氣になるのは曲目である。ジヤズ・ピアニストとオーケストラの共演といふと、大抵演奏されるのは例のラプソデイー・イン・ブルーである。しかし、これはできるならば避けてもらひたいものだ。テレビ・ドラマの影響もあるのか、このところいろいろなコンサートで聴かされ続けてゐて、かなり食傷してゐるからである。

以前も書いたが、ガーシユインならへ長調のピアノ協奏曲のはうを演奏してもらひたいがどうであらうか。そのほか、彼女の演奏で聴いてみたい曲は澤山ある。アンドレ・プレビンや吉松隆のピアノ協奏曲などである。特にプレビンの作曲したピアノ協奏曲はインプロヴイゼーシヨンの多いほとんどジヤズと言つてもよいくらゐの曲であるから、彼女にぴつたりであらう。

もちろん、彼女が本格的なクラシツクの曲、プロコフィエフやリストなどのピアノ協奏曲をどのやうに演奏するかといふことにも興味はあるが・・・。

2009年7月17日 (金)

BALLADS

Simg_3639_2 7月17日といふ日はジヤズ・フアンにとつて少なからず感慨深い日と言つてよいであらう。何故なら、ジヤズ界におけるベートーヴエンとも言ふべき存在のジヨン・コルトレーン(1926-1967)が亡くなつた日だからである。因みに、1959年のこの日に歌手のビリー・ホリデイも他界してゐる。

言ふまでもないが、ジヤズ史においてコルトレーンの残した功績は一際強烈な光りを放つてゐて、かつては「コルトレーン信者」といふ言葉が存在したほど、彼に対して特別な思ひを抱いてゐるジヤズ・フアンは多い。マイルス・デイビスの命日は知らなくてもコルトレーンのそれなら知つてゐるといふジヤズ・フアンも少なくないのである。

かく言ふ私もその一人で、「梅雨明け」や「パリ祭」といふ言葉を聞く頃になると、さうか、まうそろそろコルトレーンの命日が來るのかと思ふのである。と言つても、私の場合は父の命日がコルトレーンと近いので、より強く覚えてゐるだけなのかもしれないが。

それはともかく、コルトレーンの功績や私が彼に関して思つてゐるのことなどを語ればとても長くなりさうである。それは後日にして、今日は彼の代表的なアルバムの中の一枚を揚げておくことにしよう。ジヤズ・フアンなら誰でも知つてゐる「BALLADS]である。

昨年のことであつたと思ふが、このアルバムが世界的範囲で100万枚突破したいふことをニュースで聞いたことがある。1961年に発売されてから足かけ約半世紀かけてである。今後の記録媒体はどのやうなものになるか判らないが、漱石の「こころ」の文庫本のやうに、これからも少ない数ながらコンスタントに売れ続けてゆくのであらう。

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