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詰将棋

2011年11月16日 (水)

桂之介の詰将棋 其の二十五

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氣が附けば随分とこのブログの更新を怠けてゐたやうで、今日のこの記事はどうやらおよそ八箇月半ぶりのものになるやうである。長い間更新を怠つてゐた理由はともかく、何故そんな久し振りに記事を書かうと思い立つたかと言ふと、それは、日本女子プロ将棋協會発行の日めくり詰め将棋カレンダーの昨日十五日分に小生の作が掲載されてゐたから、そして、それについて少しコメントしておきたいと思つたからである。

下に掲げた図がカレンダーに掲載された拙作である。だが、最初に考へたのはその下にあるA図のやうなものであつた。つまり、A図を少し難しくしたのがカレンダー掲載作である。この桂を四枚縦に並べた形のものはいろいろなヴアリエーシヨンが考へられて、なかなか面白い素材である。ほかにもいろいろと作ることができた。その中のひとつが上に掲げた図である。これは13手詰であるが、手が広いので結構難しいかもしれない。因みにこの詰将棋の場合、持ち駒の金一枚を角に替へて(その際は余詰消しに7七に金を置く)、もつと紛れを増やすこともできるやうである。


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2010年12月24日 (金)

桂之介の詰将棋 其の二十四

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大学を出て會社勤めをするやうになつても私の将棋道場通ひは続いてゐた。そして、その頃のことである。道場には時々画像の乱れる古いテレビが一台置いてあつたが、土曜日曜の午後になると、そのブラウン管の前に陣取つて、ただ馬が走るのを映すだけといふ、関心の全く無い者には早朝の試験放送と同じくらゐ退屈な放送にじつと眼を凝らしてゐる者が必ず何人か居た。つまり、彼等は競馬中継を見てゐて、自分の買つた馬券が金になるか紙屑になるか見極めようとしてゐたわけであるが、そのやうな男たちの中に、プロ棋士の田中寅彦によく似てゐるところから、常連から「寅さん」といふニツクネームで呼ばれてゐる、田淵といふ、私より二つ年上の男が居た。

田淵は中堅の證券會社に勤めてゐて、その業界では遣り手の営業マンとして通つてゐたが、かなりの競馬好きで、道場でも紙面に数字と印のやけに多い特殊な新聞を片手に、同じ趣味を持つ連中と、走力が衰へれば食肉になることを心配しなければならないやうな可哀相な動物に関する話で盛り上がつてゐることが多かつた。だが、学生時代は将棋部の主将を務めてゐたと言ふだけあつて、彼の棋力はなかなかのものであつた。道場では四段で指してゐたが、その頃道場に時折顔を出してゐた都名人のA 氏とはいつも互角の勝負をしてゐたのである。ところが、そのやうな彼と私は対局することは余り無かつた。何故なら、彼が私との対局を避けてゐたからである。そして、私にはその理由が判つてゐた。彼にとつて私は言はゆる、合口の悪い相手であつたからである。

私はもともと攻めるのが好きであつたが、田淵と指す場合は端(はな)から受けに廻ることが多かつた。何故なら、格別強いわけでもない三段の私が攻めても攻め切れないことが判つてゐたからである。ところが、一旦、徹底した受けに廻ると、私は自分でも驚くほど強さを発揮することができた。そして、その結果、攻めあぐねた彼は悪手を指すことが多くなり、結局、私が勝つてしまふといふ具合であつた。といふわけで、格下の私に負けるのが嫌なのか、彼は私と将棋盤を挟んで向き合はうとはせず、当然ながら、二人の関係は挨拶程度の言葉しか交はさないものであつた。

ところが、人間同士の結びつきといふものはどこでどうなるか全く判らないもので、暫くして、私と田淵は、昔から附き合ひのある友人同士のやうに、親しく言葉を交はす間柄になつた。そして、それは或るちよつとした出來事がきつかけであつた。或る日、私が学生時代に通つてゐた新宿のとあるジヤズ喫茶に久し振りに顔を出したときのことである。紫煙の立ち込める薄暗い店内のカウンター席に腰を降ろすと、隣に座つてゐた男が直ぐに私に声をかけてきた。それが他の誰でもない田淵で、私は大いに驚くことになつた。そのやうな場所で彼のやうな将棋や競馬といつた勝負ごとの好きな證券マンと顔を合はせることがあるとは思つてもみなかつたからである。いつであつたか、喫茶店の男性用トイレに入らうとしたら、そこから若い女性が出てきて、とても吃驚したことがあつたが、私がそのときの田淵に感じた意外性はそれと同じやうなものであつた。

そして、更に驚いたことは、そのとき彼が私に洩らした何氣無い言葉であつた。そのとき、店内に流れてゐたのはマニアツクなジヤズフアンしか知らない、或る無名のジヤズピアニストのレコードであつたが、それをリクエストしたのは自分であると彼は私に告げたのであつた。すなはち、彼のその言葉は彼がジヤズに詳しいといふことを明らかにするものであつたが、同時に、ミユージシヤンの好みが私と余り違はないといふことも意味した。何故なら、そのとき店内に流れてゐたレコードは私も大好きで、学生時代によくリクエストしたもののひとつであつたからである。

いづれにしても、そのやうなことから、二人の話が弾んだのは言ふまでもなかつた。それから、私たちは、話し込んでも周りに迷惑をかけることの無い喫茶店に場所を移して雑談を続けることになつた。そして、そのときの會話から、音楽だけでなく、映画論や作家論といつたやうなものに関して、彼は私と氣の合ふところの多い人物といふことが判つたのであつた。

といふわけで、そのことがあつてから、私と田淵は親しく声をかけ合ふことが多くなつたが、二人の結びつきを更に強めたのは競馬であつた。私はもともとギヤンブルが好きであつたから、田淵に勧められて馬券を購入するやうになるまでに時間はかからなかつた。そして、或る日、大穴を当ててから、天下り法人へ支払はれる競馬會の交附金を潤すことに貢献する私の個人的運動に拍車がかかるやうになつた。最初は場外馬券賣場へ出向く田淵に馬券の購入を依頼するだけであつたが、そのうち、二人で競馬場まで足を伸ばすやうになつた。そして、その競馬場遠征を誘ふのは私のはうが多かつたのである。(つづく)

図は自作の詰将棋です。


2010年11月27日 (土)

桂之介の詰将棋 其の二十三

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其の二十二に書いた出來事の後“博奕打ち”のKは暫く道場に顔を見せなかつた。だが、或る日、道でばつたり會ふと、どういふわけか、彼は私を近くの喫茶店に誘つた。そして、そこでコーヒーを二つ注文した後、今度は冷静な口調でこんなことを言ひ出した。

「あんたはあの子が本当に好きかい? え? どうだい?」

その唐突な質問に少し吃驚したが、Kのいつもとは違ふ、裁判官のやうな真剣な眼差しに氣後れして、私が罪状を認める被告人のやうに頷くと、彼は続けて言つた。

「さうかい、それぢや、かうしよう。オレと将棋を三番指して、それであんたが全て勝つたら、あの子をあんたに進呈しよう。どうだい、オレと一勝負してみねえかい? え? どうだい?」

それだけ言ふと、彼は虫歯の目立つ歯を見せて顔を崩した。そして、今度はテーブルの上に両肘を附いて、前のめりになりながら少し声を小さくした。

「何故こんなことを言ひ出したのかつて顔をしてるな? うむ、実はね、オレはあの子に完全に振られちまつたのさ。はは、仕方が無い、オレはこんな身だからな。それに、どうやら、あの子はあんたに氣があるやうだ。だが、オレもこのまま簡単に引き下がるわけにはいかない。オレは本当にあの子が好きなんだ。あの子がほかの男と附き合つてゐるのを指をくはへて眺めてゐるなんて、たとへ相手があんたでも我慢ならねえ。だが、オレも博奕打ちの端くれ、それも新門の辰五郎親分の流れを汲む由緒ある一家の舎弟分だ、あんたと勝負して、それで決着を附けたい。オレが負けたら、あの子のことはきつぱりと忘れることにしよう。 勿論、あんたのはうが格上だから、オレと三番勝負して、三つともあんたが勝つたら、あんたの勝ち、オレがあんたに一つでも勝つたら、あんたの負け、つまり、あんたもあの子をあきらめる、といふことで。どうだい、勝負してみねえかい? え? どうだい?」

それはどう考へても理不尽で身勝手な提案であつた。Kが振られたといふのが本当ならば、彼とその女の子は恋人同士でもなんでもなく、その女の子に私がデートの申し込みをしても何ら問題が無い筈である。プロ野球で言ふならば、その女の子はFAを宣言した選手である。ところが、Kの申し出はそのFA選手を獲得しようとする者に対して、こちらには依然として保有権がある、彼女が欲しければ、まう一度ドラフトを通してからにしろ、そして、そのドラフトの抽選で当たらなければ獲得する権利は無い、と主張するやうな乱暴なものであつた。

私は唖然として言ふべき言葉が見つからなかつた。冷静に考へれば、その申し出は無視すべきものであつた。だが、少しの間考へてゐた私の口から出たのは「いいでせう、受けて立ちませう」といふ言葉であつた。勝負に負ければその女の子のことはきつぱりと忘れる、といふ彼の言葉を信じたからであつた。 彼が彼女をあきらめてくれれば、私は心置きなく彼女と附き會ふことができる。それに、真剣に指せば、私は彼に負ける氣はしなかつたのである。

さて、その三番勝負であるが、なんといふことか、私の二勝一敗といふ結果になつてしまつた。その一敗といふのは三局目の勝負で、優勢な将棋を大ポカによつて失つたものであつた。終盤、下のA図のやうな局面(簡素化してある)が現れて、私は一手の余裕があつたにもかかはらずそれを詰ましに行つた。詰むと確信してゐたし、綺麗に決着させて、Kのもやもやした胸の内をすつきりさせてやりたかつたからである。ところが、好事魔多し、そのとき、1九に自分の打つた歩があることをすつかり忘れてしまつてゐたのである。私が自信満々の手つきで1二に歩を打つたとき、Kはにやりと笑つたが、その眼つきには直ぐに影が広がり、憐れみと悲しみが入り混じつてゐるやうな、なんとも言へぬ表情を彼は私に向けた。そして、私は直ぐにその意味を悟つたのであつた。

ところで、その三番勝負が終はつてから、私はKとの約束通り問題の女の子に會ふことを控へてゐた。そして、Kの胸の内が収まり、事態が好転することを待つてゐた。ところが、暫くすると、驚くことを私は耳にすることになつた。或る日、私はその女の子が働いてゐるスナツクのマスターと道で出會つたが、そのとき私は彼から、彼女が店の常連客の、妻子のあるサラリーマンと駆け落ちしたと告げられたのである。そして、その話を聞いた頃からであらうか、“博奕打ち”のKも道場に現れることはすつかりなくなつてしまつたのであつた。

上に掲げた詰将棋にはどんなコメントを附ければよいであらうか。ま、少し長いですが簡単です。


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注:詰将棋の解はコメントに記してあります。

2010年10月30日 (土)

桂之介の詰将棋  其の二十二

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其の二十一で書いた“博奕打ち”のKは、どういふわけか、いつも下駄を履いてゐたので、彼が将棋道場の階段を上がつてくると、私だけでなく、道場に居合はせた連中のほとんどはその足音を聞いただけでそれが誰であるか判つた。冬でも余程寒くない限り、ズボンの下は素足に桐の下駄といふ恰好であつた彼は、カタン、コツン、カタン、コツンとその足音が余り大きくならないやうに氣を使ひながらゆつくり階段を上つてくると、建て附けの悪い木製のドアをギイーと静かに開けて、往年の悪役俳優、伊藤雄之助を若くして少し渋味を取つたやうな長い顔を、堅氣ではない身に負ひ目があるのか、警官に逮捕された泥棒ではないかと思ふほど神妙にさせながら道場に入つてくるのが常であつた。

何故下駄を履いてゐるのか、その理由をKに訊ねたことがあつたが、「突然喧嘩になつたときには下駄がちよつとした武器になりますからね。相手を下駄で殴りつけるわけです。相手が大勢のときはそれを投げつけて逃げることもできる。それに、下駄は何かと便利でせう。それを蹴り上げて落ちた形で天氣を占ふこともできますからね、ははははは」とほとんど冗談のやうな答へが返つてくるだけで本当のところは判らなかつた。だが、町の中に出れば警戒しなければならないことがいろいろとある身で、自分の存在を目立たせるやうな行為は慎まなければならないのに、下駄を鳴らして歩くことを全く氣にしてゐないことだけは少なくとも判つた。推測するに、彼の心の中には「オレは確かにまつたうな人間ではないが、世間から後ろ指をさされるやうなことは何もしてゐない。堂々と往來を歩いて何が悪い」といふ氣持ちが強くあつたのかもしれない。

そんなKであつたが、最初は退屈しのぎに始めた将棋がだんだんと面白くなつたに違ひない、頻繁に道場に通ふやうになつた。そして、生來の負けん氣の強さが幸ひしたのか、ぐんぐんと腕を上げて、私と親しく言葉を交はすやうになつた頃には既に二段と五分の勝負ができるやうな強い初段になつてゐた。ただ、それでも私の敵ではなかつた。私はその頃県代表クラスの強豪に揉まれたおかげで三段になつてゐたからである。しかし、暫くすると、Kの棋力は更に上がつたやうであつた。私を負かすことが十局に一局か二局はあるやうになつた。さうなると、彼は私を対局相手にしたいといふ氣にますますなつたやうで、私が道場へ顔を出すや否や、直ぐに私に声をかけてくるやうになつた。

ところが、なんといふことか、将棋とは全く関係の無い或る出來事がきつかけで、突然、私とKとの関係はひどく険悪なものになつてしまつた。全体どういふことかといふと、それは私が或る女の子をデートに誘つたことが原因であつた。其の二十一でKが喧嘩の仲裁をしてくれたことを書いたが、その女の子はその現場となつたスナツクで働いてゐる子であつた。二十歳くらゐの、それほど美人ではないものの、可愛い笑顔が印象的な背の高いスタイルのよい子で、私は以前からその子に好意を抱いてゐた。そして或る日、私はその子をくどき落としてデートに誘ひ、一緒に食事をすることに成功した。しかし、そのとき私は知らなかつたが、実は、彼女は既にKと附き合つてゐたのである。そして、まづいことに、そのデートのことがKの耳に入つてしまつた。つまり、悪氣は無く、誰にも迷惑をかけることは無いと思はれた私の行為が私とKとの間に思はぬ波乱を起こしてしまつたのである。

ただ、その女の子が私の誘ひを拒まなかつたことから判るやうに、彼女とKの仲は大して深いものではなかつた。少なくとも、彼女のKに対する思ひはそれほど強いものではなかつたであらう。だが、問題はKの彼女に対する情愛の深さにあつた。不幸なことに、彼のはうは彼女にぞつこんであつたのである。それ故、私が彼女を誘つたことを人づてに聞いて知つたとき、彼の受けた衝撃は小さくないに違ひなかつた。

さて、そんなKが事情を知つてから私の前に現れるまでに時間はかからなかつた。件のデートの翌日の夕方、彼は恐い顔をして道場へ現れると、直ぐに私を道場の外に連れ出した。そして、暗くなりかけてゐる裏道に連れてゆくと、そこで一氣にまくし立てた。私はそのときの彼の言葉は詳しく覚えてゐないが、彼の口から頻繁に出てきたのは「オレの女」といふ言葉で、それで私は初めて彼とその女の子の関係を知つたのであつた。そして、そのときの彼の話は、オレの女を構ふやうなことはしてくれるな、今回は大目に見るが、次に同じやうなことがあれば只ぢやおかない、といつたことが大体の内容で、それだけ言ふと、彼は私が何か言はうとしても無視したまま足早に去つて行つてしまつた。

ところで、そのとき呆氣に取られながらKの後ろ姿を眺めてゐた私は、おやつ、と思つた。それまで氣づかなかつたが、彼は下駄を履いてゐなかつたからである。Kのそのときの身なりは濃い茶のジヤケツトに黒のパンツといふ、いつもより小ざつぱりとしたものであつたが、どういふわけか、そのパンツの下の足元に下駄は無かった。その代はりにピカピカの黒い革靴がそこにあつたのである。(つづく)

図は自作の詰将棋であるが、玉方の応接に注意が必要である。なほ、ちよつとした余詰があるのが残念。

2010年9月11日 (土)

桂之介の詰将棋 其の二十一

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其の二十で書いたやうに、学生の頃に通つてゐた将棋道場は古い木造家屋の二階にあり、その道場に長く足を運んでゐるうちに、その家の階段を上つてくる足音を聴いただけでそれが誰だか十中八九判るやうになつたが、その中でいちばん判りやすいのが私より五つほど年上のKといふ男の足音であつた。

Kはその道場の常連で初段の腕前であつたが、その道場では少しばかり特異な存在であつた。どういふことかと言ふと、彼は一見して遊び人と判るやうな格好で昼間からその道場に入り浸つてゐることが多かつたが、案の定といふべきか、彼は一般に反社會的勢力と言はれてゐる集團の一員で、将棋といふ健全な娯楽を楽しむ人たちに歓迎されるやうな人物ではなかつたからである。

だが、Kは口数の少ない静かな男で、その道場での振る舞ひや態度に問題は無く、常連客のほとんどは彼が何者であるか知つてゐたが、表立つて彼を煙たがるやうな者はその道場に居なかつた。むしろ、本当に将棋が好きで、対局のときは一手一手熱心に考へることが多かつた彼は、その将棋に対して真摯で一生懸命なところや、負けても相手に不快感を与へるやうな態度は決して取らない潔さが好感を持たれてゐて、その素性は充分承知のうへで彼を対局相手に指名する者もその道場には少なくなかつた。

そんなKと私が親しくなつたのは或る事件がきつかけであつた。私はその頃その道場の近くにある一軒の小さなスナツクに出入りしてゐたが、遠くに花火の音が聞こえる或る夏の夜、私を訪ねてきた親友のAをそこに誘つたことがあつた。しかし、そろそろその店を出ようかと思つてゐたときにその騒動は起きた。私たちはカウンターに陣取つてゐて、Aの隣に一人の遊び人風の中年の客がビールを飲みながら座つてゐたが、その男とAとの間に一悶着が起き、たうたうそれは相手を殴り合ふやうな喧嘩にまで発展してしまつたのである。

事の発端は、その店の女の子に執拗に絡んでゐたその男を、見兼ねたAがたしなめたことにあつた。そのときは、酷く氣分を害した様子で反対にAに食つて掛かるその男に私が頭を下げて謝り、なんとか事なきを得たが、その男はその後も虫の居所が悪かつたのか、野球の話で盛り上がつてゐる私たちの間に横から茶々を入れ始め、つひには、広島出身で熱烈な広島カープフアンであつたAを罵倒するやうなことを言ひ始めた。そこで、かなり酒の入つてゐたAは、まう我慢ならぬと、その男の顔にいきなりコツプの水をぶちまけるといふ行動に出たが、それが二人のバトルの始まりであつた。

しかし、そのバトルは長く続かなかつた。騒ぎを聞き附けたのか、丁度その店に入つてきたところなのか判らなかつたが、見覚えのある男が、あたふたしてゐる私の眼の前に突然現れたかと思ふと、「やめろ!やめろ!」と叫びながら二人の間に無理やり割つて入つた。すると、闇雲に拳を振り上げてゐた遊び人風の男はどういふわけか急におとなしくなつて、その喧嘩は突然そこで終了となつてしまつた。結局、Aの喧嘩相手はその後、周りに向かつて二、三度頭を下げると静かにそこから退散して行つたが、その喧嘩の仲裁に入つて事態を丸く収めたその男がKであつた。後に聞いた話に因ると、Aと揉めた男はKの知り合ひでKに何らかの借りがあつたといふ。

それから私は道場でKと一緒に将棋を指したり話をしたりすることが多くなつたが、彼の話によると、彼の所属してゐる團体は構成員の少ない小所帯ながら、江戸時代から続く、その世界では由緒有る組織で、現在の親分は十二代目といふことであつた。そして、彼の口から「オレはその辺のちんぴらヤクザとは違ふ」といふ言葉が洩れることがあつたが、「ぢやあ、いはゆる博徒といふやつですね?」と私が「人生劇場」の飛車角を想ひ浮かべながら訊くと、「ふふ、そんな格好いいもんぢやない。オレは高倉健さんぢやない。ただの博奕打ちさ」といふ返事で、それ以來、仲間内で彼のことが話題に上ると、私は彼のことを「博奕打ち」と呼んで話すやうになつた。

ところで、何故その博奕打ちのKの足音がいちばん判りやすかつたかといふと、どういふわけか、彼はいつも下駄を履いてゐたからであるが、その理由についてはまた後日に書かうと思ふ。凡作ではあるがまた自作の詰将棋を揚げておくことにしよう。

2010年8月 6日 (金)

桂之介の詰将棋 其の二十

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学生の頃に新宿からそれほど遠くない、西武新宿線沿線の或る小さな町に住んでゐたが、この町に小さな将棋道場があつて毎日のやうに通つてゐたことがある。席主はその昔高柳道場に通ひ詰めてゐたこともあるといふ将棋好きの初老の資産家で、棋力はそれほどでもなかつたが、好きなことをして余生を送りたいといふことなのか、駅前商店街にある大衆向けの中華料理店の二階の、その辺の低所得の夫婦が住むやうな四畳半と六畳に台所といふ貸間を借りて道場を開いてゐた。

つまり、その道場はこの資産家のちよつとした道楽で、彼自身、それによつて生活費を稼がうといふのではなく、道場がなんとか維持できるくらゐのそこそこの収入が得られればよいといふ考へであつたと思はれるが、その頃は任天堂もトランプや花札の類しか賣つてゐなかつたやうな時代で、室内ゲームの中で将棋の人氣はまだまだ高かつたうへに、席主としての彼の人当たりのよさも幸ひして、その道場はそこそこ賑はつてゐた。プロ棋界では、大山はまだ健在で、中原、米長といつた人氣棋士や、谷川、田中寅などの若手棋士の活躍が新聞紙面を賑はせてゐた時代である。

客は主に商店街の旦那衆、勤め帰りのサラリーマンや公務員、悠々自適の年金受給者、そして私のやうな暇をもてあました貧乏大学生といつたところであつたが、常連客の中には賣れない漫画家や小さな劇團で活動してゐる役者志望の若者など、やや特殊な仕事に就いてゐる者も混じつてゐた。また、席主がそれまでに培つた縁で、奨励会を退会した棋士やアマの強豪が訪れることもしばしばであつた。

要するに、いろいろな人間がその道場に集まつてゐたわけであるが、賭け将棋の類は固く禁じられてゐたうへに、行儀の悪い者があまり居なかつたのが幸ひしたのか、その道場には一種の家族的な雰囲氣が漂つてゐた。しかし、それぞれが深く附き合つたり、詮索し合つたりするやうなことはなく、その変に煩はしいことの無い、なんとなく温もりのある人間関係を私は氣に入つてゐた。

ところで、古い木造家屋の二階にあるその道場へ行くには一階の中華料理店の横にある木戸を開けて入つて、所々板の剥がれてゐる階段を上がらなければならなかつたが、長い間その道場に通つてゐると、やがて、その階段を上つてくる人の足音や板の軋む音を聴いただけでその人が誰だか十中八九判るやうになつた。つまり、それぞれの履いてゐる靴、体格、体重、年齢、職業、将棋の強さ(自信の強さ)、その他いろいろなフアクターが異なつてゐるが故に、それぞれが階段を上がつてくるときに奏でる“音楽”もまた微妙に異なつてゐて、それを何度も聴かされてゐるうちに、それが誰の音楽か直ぐに当てられるやうになつたのである。

おつと、話が少々長くなつてしまつたやうである。この話の続きはまた後日といふことにして、折角であるから、その道場に通つてゐた頃に作つた詰将棋をここにひとつ晒しておくことにしよう。ただ、手順に新しいものは無く、類作が心配されるやうな形であまり褒められたものではない。

2010年7月 1日 (木)

出口なし

久し振りに詰将棋の記事を書かうと思ふ。だが、これと言ふネタも無いので、ある詰将棋専門雑誌に投稿したものの不採用となつて返送されてきたものをここに一つ揚げておくことにしよう。


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雑誌に投稿する際に、「出口なし」あるいは「地下水道」といつたタイトルを附けようかと思つたが、一回しか入選してゐない者がタイトルなどといふものを附けたら生意氣に思はれるであらう、と思い留まつた。だが、案の定それは正解であつた。もしそんなことをしてゐたら、「初心者はこれだから困る。こんな類例の多い凡作にタイトルを附けるとは、身の程知らずな」 と更に笑はれてしまつたに違ひない。

因みに、「出口なし」はサルトルの実存劇、「地下水道」は下水道に逃げた兵士たちがやつとのことで見つけた安全と思はれる出口を這い上がると、そこには×××が待つてゐたといふ、戦争の悲劇を描いたアンジエイ・ワイダ監督の映画のタイトルである。

なほ、選考担当者の評は以下のやうなものであつた。

「この金送り趣向は、既に類例は多く、成銀なしでも実現可能です。既存の趣向はダメとは言いませんが、一趣向がある場合は、+αが大きくないと採用し難いです」

「8段目の歩が働いて欲しいし、成銀配置もちょっと」

2010年1月 1日 (金)

新年を賀す

明けましておめでたうございます。本年も宜しくお願ひ申し上げます。

今年は寅年といふことで虎の形の詰将棋を作つてみました。玉が頭でと金が尻尾です。銀は月といふことにしていただきませう。要するに中島敦の世界です。え?虎には見えない、なんだかわけの判らない動物のやうではないか、とおつしやる? そんなことはないでせう、絶対に虎です(笑) そして、駒を動かしたときに、月が虎にたべられた後、虎の子になつて産み落とされるといふメルヘンチツクなストーリーがなんとなく想像できたらお慰みと言つておきませう。なほ、本局に非限定、余詰、飾り駒などは無いと思ひます。


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2009年11月 1日 (日)

桂之介の詰将棋 其の十七

0 詰将棋パラダイスに拙作が初入選した。したはよいが、ちょつと吃驚した。確かに「投稿先はどこでも構いません」と書いたが、まさか「新人コンクール」の欄に掲載されてゐるとは。

はつきり言つて、その作品はそのやうな扱ひに値するやうなものではないので恥ずかしい限りである。コンクールの中に入れられることが判つてゐれば、まう少し骨つぽいものを投稿したのに。例へば、ここに掲げたやうなものを・・・・・

え? これも類型的で大したことはない、とおつしやる?・・・・・・とほほほほほ






前回の解答は▲3一桂成 △同玉▲7五角△6四桂 ▲同角△2一玉▲4三角成△1二玉▲2二桂成△同玉▲3三馬△2一玉▲1三桂打△同香▲同桂不成△1二玉▲2四桂△1三玉▲1九香△1四歩▲3一角成までの21手詰である。

2009年10月30日 (金)

桂之介の詰将棋 其の十六

1045blog え~またまたお笑ひを一席申し上げます。今回の話も前回と同じやうに大家のご隠居と店子の八五郎の會話です。

八 「ご隠居はご存知で? 女流棋士のタイトル戦で反則負けがあつたのを」

大 「知つてをる、女流王位戦のことぢやろ。プロの将棋も疝氣筋(せんきすぢ)に角が飛ぶといふことがたまにあるが、角が歩を飛び越えてしまつたといふ事件はわしも初めて聞いた」

八 「ご隠居、なんですか、その疝氣筋といふのは?」

大 「なに、疝氣筋といふ言葉を聞いたことが無いと申すか?」

八 「へえ、なにしろ、わつしは平成生まれですからな、そんな古い言葉は初めて耳にしたといふわけで、へへ」

大 「ふふ、平成生まれはよかつたな、いくらなんでも、そりや、鯖のよみすぎだろ。疝氣といふのは漢方で言ふ下腹部の痛みのことでな、疝氣筋とは疝氣の時に痛む筋肉のことを指すが、それ故、筋道の違ふことの例へにも使ふ。したがつて、将棋で疝氣筋と言へば角の利きを見誤ることぢや」

八 「へえ~、さすがはご隠居、よくご存知で。さう言へば、わつしも“疝氣の虫”といふのを落語で聞いた覚えがあるやうな」

大 「うむ、その疝氣の虫が腹の中で暴れて筋を引つ張るから、人間は痛がる、それが疝氣ぢや。だが、悋氣は女の病氣、疝氣は男の病氣と言つてな、特に男がかかるのがこの疝氣といふ病氣ぢや」

八 「へえ~、さうですか。しかし、なぜ女はかからないんです?」

大 「うむ、疝氣の虫は唐辛子を大の苦手にしてをつてな、唐辛子を喰へば疝氣は治まる。だが、その時疝氣の虫は金玉に避難してをるだけで、そのうちまた出てきて悪さをする。ところが、女は金玉が無い。無いから、疝氣の虫は避難できる所が無くて、そのまま小便と一緒に外に流れ出てしまふといふわけぢや」

八 「なるほど、女は外に流れてしまふといふわけで。さうか、だから、女の棋士や女の作家を女流と言ふわけですな」

大 「ふふ、まあ、そんなところぢや。それに、女流と言つておけば、二流、三流と言はれないで済む・・・・・・といふ冗談はさておき、おまへさん、このあいだ話してをつた例の将棋ソフトはどうした? まう使ふことは無いと言つてをつたが」

八 「へえ、昭和の頃から見てゐたうちのテレビがつひに壊れましてな、地デヂ対応の新しいのを買ふのにまとまつた金が必要となりまして、へへ、幾らかでも足しになればと質に入れました」

大 「なに、質に入れた? それは勿体無い。それがあれば、詰将棋を作る時に余詰検討が楽なやうだから、わしがそれを貰ふことにしよう。金を遣るから、すまんが、おまへさん、出してきてくれんか?」

八 「へえ、残念ですが、それはできません。疝氣の虫と同じです」

大 「疝氣の虫と同じ? そりや、一体どういふ意味ぢや?」

八 「へへ、玉(お金)が無いから流れました」

おあとがよろしいやうで。

注:質屋に入れたものは期限までに借りた金を払ふか利息を入れるとかしないと流れてしまふのである。



図の詰将棋は前回、前々回の姉妹篇である。ただ、非限定打があるのでご了承を。

なほ、前回の詰将棋の解答は▲2三桂△2一玉▲4三角成△3二歩▲3一桂成△同玉▲4二桂成△2二玉▲3二成桂△1二玉▲1三歩△2三玉▲3三馬△1四玉▲2四馬まで15手詰である。